十三神社
じゅうさん

ご祭神 國常立尊、國狭槌尊、豊雲野尊、泥土煮尊、沙土煮尊、大戸導尊、
    大戸間邊尊、面足尊、惶根命、伊弉諾尊、伊弉冊尊、天照大日靈尊、
    天忍穂耳尊、彦火々出見尊、 葺不合尊、大山祇神


鎮座地 和歌山県海草郡紀美野町野中493番地
(旧地名: 和歌山県海草郡美里町野中493番地)


アクセス オレンジバス・山根下車

境内社 丹生神社、若宮八幡神社、皇太神宮、熊野神社、
    聖神社、恵比須神社、頒魂神社
 美里中学校の近く。貴志川に架かる参道橋からの景色も美しいお社。

 桓武天皇の御宇、延暦三年(784)に神野郷の人々が官許を得て、神代七世の大神、神世五世の大神等を祀る為の敷地を選び、神社地とされた。
 その当時より爾来、十二社権現と尊称されたが、後陽成天皇の天正年間に、伊豫の河野道直・秀道父子が、長曽我部元親と交戦し、軍敗れて伊豫を去り、当地神野庄上ヶ井に落着した時、
 

 一羽の霊鳥天翔り、国翔り飛び来りて河野一族の左右を離れず日を経過すれども飛び去らず、道直は、先祖代々伊豫国の一の宮大山祇大神を崇敬し、河野家の守護神と仰ぎ奉れることを思い、この霊鳥は、大山祇の神霊ならんと道直等一族この大山祇の神霊を祀る為に、神野庄(上下神野村)の人々と協議し、高野山興山寺の許可を受け、十二社大権現の神廟に合祀することとなり、時に天正十七年正月二十六日と伝えられ、以来十三社大権現と称されたと伝えられる。

 しかし、平安後期の康治二年(1143)五月二十五日付の神野眞國庄絵図には、即に十三所大明神と明らかに記され、又安貞二年(1228)の高野山衆徒置文に、「庄内神社十三所」とあり早くから荘内の鎮守社と認められている。
 このことから、延暦三年の創建以来、ずっと十三所大明神を産土神として信仰されていたもので、天正十七年になって十三体の神様のうち、一柱が大山祇と入れ替えたと思われる。
 十三神社本殿は、三間社流造り檜皮葺。本殿の左隣に、摂社丹生神社、八幡神社の二棟が並ぶ。丹生神社は、丹生都津姫命を祀り、蛇岩大明神とも称するという。十三所大明神垂迹の地と伝える遠井辻峠<といつじとうげ>近くの蛇岩に住む小蛇を御神体とするとも伝えられる。

 本殿右隣に聖宮、天照大神宮、熊野権現社、恵比須神社が並ぶ。


恵比須神社


頒魂神社

 道路を挟んで頒魂神社が祀られている。
 
神奈備先生ありがとうございました。
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