海士潜女神社
あまかづきめ・あまくぐりめ
主祭神 潜女神
    かづきめのかみ
鎮座地 三重県鳥羽市国崎町312 (字鎧崎)

 当社はもと海士御前と称していたのを明治二年海士潜女社と改称したもので、『志陽略誌』に「八皇子社国崎村に在り、亦神明熊野権現伊雑宮弁財天鏡宮牛頭天皇白鬚明神八幡宮蜒御前山神社等あり」と見える延御前がそれで「外宮旧神楽歌」にも、
 「国崎にはつヾみの御前、白髭の御前、つるぎの御前、ひめ社」とあり、ひめ社が当社のことである。主祭神の潜女神とは、倭姫命巡行の時に御贄の鮑を捕って献上した、潜女お辨(お弁)のこと。

「昭和十五年海士出稼一同」の銘がある。

 拝殿入口は引き戸になっており、拝殿の正面には大きな鮑の貝殻が飾ってある。


拝殿向かって左手の「神宮遙拝所」

右手に「宮城(皇居)遙拝所」

 国崎、海士潜女神社と倭姫命に鮑を奉献した伝説の海女「お弁さん」、また神宮に鮑熨斗が奉献された起源について
『志摩郡史・志摩国旧地考』によると

 〜伊勢大廟の御贄に用ひ、又は往昔伊勢大廟の大麻に添へて、頒布せし鮑熨斗は、此村の特産にて、其起源に就き、鳥羽の人實川金之助氏の手記あり、曰く

 神事、婚礼など目出たき儀式に用ふる、鮑熨斗の起源は、遠く垂仁帝の御代に在り、傳説によれば、皇女倭姫命が、伊勢神宮の御饌の供料調査のため、船に乗り志摩国の海濱巡遊の折、国崎村の海濱に怪しげなる婦人の、海を潜りて漁どりを為しつつあるを御覧あり陸に上りて岩石に腰を据え、親しく其作業を臠《みそな》はせらるる内、彼の婦人は、貝類を夥《おびただし》く捕りたれば、命は打興ぜられ、何呉れと其婦人に問はせられ、其貝は鮑といい、人の食料にすべきものと分りければ、命は神宮の御饌に供すべき由命じ給ふ、此頃は今の如く行通の便なき折、殊に夏は腐敗し易ければ、生のままにては宇治まで持行く事叶はねば、之を薄く折《へ》ぎて乾したれば、久しきに堪ゆべしと申上げ、斯くして上納すべき旨御受申上げ、夫より後之を熨斗鮑といい、最格なる儀式により、村内の事業として年々神宮に奉献する事となれり、命の腰掛け玉ひし岩を腰掛岩といい、其の濱を御潜《みかづき》の濱といふ、又御潜神事と称し、古来国崎村を始め、其付近の蜑婦相集り、毎年六月一日熨斗用の鮑を採る神事あり、警固のため役人出張し、荘厳なる儀式の下に之を行ひ、而して其の製造は独り国崎に於て為せり、是れ倭姫命の故事あるに由る、それかあらぬか、志摩各地の蜑婦中、尤も鮑取の作業に熟練なるは、国崎に如くものなし、実に国崎の蜑婦は先天的の技能ありというべし。殊に倭姫命当時の蜑婦は、同村の辻清助の娘にてお辨といひ、其裔惣助とて今に歴然と一家を為し居れり、其後お辨を蜑婦の祖神として祭り(以下略)とある。


【明治三十九年十月合祀された神社】
剱宮社 「外宮旧神楽」に「つるぎの御前」とあり、志陽略誌には「剱ノ宮国崎村に在り、伝え云う。下野阿闍梨円成此の海浜に於て宝剱を拾得、故に一社を創建、剱宮と号くと云う。事蹟太平記二十五巻に出たり」と見える。明細帳には「不詳」とある。
天目一箇命
白髭大明神社 「国崎郷神社略記」に文禄二年神明磯(国崎の地名)より崎宮(海士潜女神社)に迂す」と見え、神明磯の付近神ノ島の岩上にその遺蹟を存ずという。外宮神楽歌の「白髭の御前」は当社の事である。「国崎御厨古文書」には、「白髭大明神社 三尺五寸七分 二尺八寸祭礼十一正月十八日、祭神近江国地神」と見える。
猿田彦大神
八雲神社 「国崎御厨古文書」に「天王社 九寸五分 六寸六分祭礼六月十四日」とあり、明細帳には不詳とあるが、旧号牛頭天王。明治二年改号せしなり、村中除疫の為に奉祀せし所なりと云う。
素盞嗚尊
鏡宮社 「国崎御厨古文書」に「鏡宮社 弐尺四寸三分 弐尺二寸八分」とある。
石凝姥命
鎧崎社 旧弁財天と称したが、明治二年改称したもので、口碑によると、この社は往古鎧崎東方の海中なるオカミと称する岩上に鎮座せしを、波浪のために流失せんことを恐れ、何れの世にか鎧崎に遷したという。
市杵島姫命
伊雑宮社 「国崎御厨古文書」に「伊雑宮社 三尺九寸 三尺弐寸祭神大日麗貴尊」とある。
玉柱屋姫命
山神社 「国崎御厨古文書」に「山神社 一尺五寸四分 一尺」とある。
大山祗命
八幡社 字宮ノ谷二八五 「諸国誌草稿」に「境内五十一坪」とあり、「国崎御厨古文書」には「八幡宮社 弐尺一寸 一尺六寸八分 鳥居 高サ八尺五寸 横五尺五寸」とある。
応神天皇
風宮社 字海門間谷三四三 志陽略誌に「風宮同村中野山に在り、亦土宮水神荒祭神月読宮客人宮」と見え、『諸国誌草稿』に「風宮中山に在り、境内二百拾七坪」。「国崎御厨古文書」に「風宮社 三尺一寸 三尺六寸 祭礼十一月十八日」とある。
級長津彦神
土宮社 字大津坂四三 「国崎御厨古文書」に「土宮社 五尺八寸 四尺五寸五分 祭礼九月九日」とある。
宇賀之御魂命
大歳御祖神
月読宮 字大津五九六 「国崎御厨古文書」に「月読宮社 三尺七寸 二尺八寸」とあり口碑によると、往昔大津神戸の氏神として奉祀せしが、明応七年八月海嘯の災後、同神戸は移転して合併したるも本社は独り原位置に残存せるものなりという。
月夜見尊
稀人神社《まれひと》 「国崎御厨古文書」に「客神社 一尺三寸 一尺二寸」とある。
建御名方命
高神社《ごう》 「国崎御厨古文書」に「高神社 弐尺八寸 弐尺弐寸」とある。志陽略誌の荒祭神がそれである。
建日丹方命
水神社 「国崎御厨古文書」に「水神社 七寸 五寸」とある。
天村雲命


【明治四十年十一月合祀された神社】
神明社 「諸国誌草稿」に「境内三百五十壱坪」とある。
天照大神
熊野社 字宮ノ谷三一二 「国崎御厨古文書」に「熊野権現社 弐尺七寸 弐尺一寸 祭神伊弉諾尊、伊弉冊尊」とある。
伊弉冉尊
八柱神社 志陽略誌の8皇子社がそれで、明治二年改称した。「国崎御厨古文書」には「八王子社 二尺七寸 二尺一寸五分 鳥居 高さ八尺五寸 九尺五寸」とある。
五男三女神

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