● 屏風村の由来 (磯城郡三宅町屏風)
 聖徳太子は、佛教研究のため、毎日法隆寺から橘寺へお通ひになった。法隆寺から橘寺といへば、随分遠い道であった。太子は、いつも唐院の村を越して伴堂の村に差しかゝる手前の、大きな楊の木に馬を繋いで、道傍で憩はれた。そこを通る人は、太子の姿をよく拝むことが出来た。
 然し鍬をかついだり、肥料を運ぶ百姓どもは、太子の御目ざはりだらうといふので、村人は立派な屏風をこしらへて、その屏風の中で休んでいたゞくことにした。太子は非常にお喜びになった。それから、其村を屏風村といふことになった。『馬繋ぎの楊』や、『足洗ひの井戸』などが今に残っている。 (中村易一)
 奈良県磯城郡三宅町に鎮座する杵築神社の境内にある、聖徳太子ゆかりの古跡。

【屏風の清水】
聖徳太子がこの地で休息され、従者の持つ弓をとってこの地を打ち掘られると、冷水がこんこんと湧き出た。
以降、太子がこの地をお通りになるときは、この水を愛飲されたと言い伝えられている。
(屏風の里古跡より)
三宅町教育委員会



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