● 楯岡山と覆矢<ふや>塚

 大字今井の楯岡山<たておかやま>のふもとに速総別王<はやぶさわけのきみ>と女鳥皇女<めとりのみこ>の墓と伝える二つの古墳がある。村の役場から見える小高い丘の上にある。日本書紀には素珥山<そにやま>と記してある。
 仁徳天皇は、ある時、女鳥皇女を妃<みめ>にしたいお考えになった。そこで速総別王に仲介をお頼みになった。ところが、この三人は異母兄弟姉であった。早速、速総別王は女鳥皇女の家を訪問して、天王のお話を伝えた。意外にも、この皇女は、ひそかに前から速総別王を恋い慕っていたので、そのことを打ちあけられて、速総別王も皇女の恋情にまけて、その場で将来結婚を約束してしまった。一方、速総別王からの報告を待っておられた天皇は、しびれをきらして天皇自ら皇女の家に直きゆかれた。その時、皇女は速総別王の晴れ着を織っている時であった。そして皇女の返事をさとられた天皇は御いかりになられた。その後、王と皇女は天皇をねらっているといううわさが立った。二人へ軍勢をさし向けられた。二人はやむなく手をとりあい生駒から倉梯山を越えて曽爾谷まで逃げ延びた。追手につかまり二人は殺された。二人の墓は曽爾谷を見下ろす丘の上にある。皇女の墓は崩れて跡をとどめるばかりであるが、そこから約五〇メートル距てて速総別王の墓は完全な姿で残っている。
 一説には、これは豪族の墓で、ここより少し離れた覆矢<ふや>塚というのが二人の墓で、二人は追手から雨のように降る矢にあたって死んだという。この塚の草花を持ちかえった人が、その夜から悪い病気にかかり「髪の毛をふり乱した女」の夢をみたという。
 (宇陀郡史より)

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