● 雨乞いの効験
 五條市中之町(旧宇智郡牧野村中之郷)
 昔、大ひでりの年があった。幾日たっても夕立雲一つ見えず、稲には火がつくばかりとなった。ことに中之郷という地は、川の水を上流で取られてしまうから、全く困りきった。その時、大善寺の住職は学徳兼備の人であったが、村人はこの僧に頼んで雨乞いをしてもらうことにした。僧は龍王にお祈りしたが、この神様はネブカとキュウリがきらいだから、この二つを食わないと誓わせた。村人はむろん承知した。その結果、その夜のうちに大雨が降り、しかも中之郷のみの雨であった。おかげで田の水は一ぱいになって稲は蘇生した。それから三日目に一度、必ず夜分に降ったので、百姓は大いに救われた。
 村人はその後、いつとはなしにネブカもキュウリも食うようになったが、初生りを川に流して龍王様に献じることは引き続いてやっており、最初に雨の降った六月二十八日は村の祭り日として、当時を記念している。(阪之上武彦)
● 縁結び地蔵 五條市原町(旧宇智郡大阿太村原)
 原町の栄山寺街道筋にささやかな祠がある。そのそばに相当大きな榁<むろ>の木があり、その下枝はほとんど皆結ばれている。
 この地蔵さんに願をかけて、左手のみでその枝を結べば、必ず願望は成就するといい伝えられている。(阪之上夏三)
● 左門の墓と番内の弓 五條市
 三在の県道五條高田線の東側上方に数基のやや大きな石碑があり、中央の一基が米田左内の墓石だという。左内は南朝の忠臣越智隠岐守の家老格の米田家の末で、三在にいた豪族である。
 また、その後裔の米田岡之允番内は強弓の名手で、京都の三十三間堂の通し矢を射て、最後の一矢で弦が切れて名額を掲げられなかったといい伝え、その弓だというのが、三在の龍池神社の社宝として現存している。(阪之上夏三)
● しめし掛けの森 五條市原町(旧内郡大阿太原)
 原町の阿陀比売神社の東方、約四〇メートルに吉野川に面して、しめしかけの森というのがある。五条地方の産の神様として信仰されているが、祭神の阿陀比売(ににぎの尊の皇后、木乃花咲耶毘売の)が、火明尊ほか二子をお産みになった時、しめしを干したところと伝えられている。
 また、ににぎの尊の疑いを晴らすため、ご自身が産殿に火をかけてお産されたが、三子とももえさかる火の産殿からおどり出られたので、ヒメヒカケがなまって転じたものであるともいわれている。
 神社のすぐ前三〇歩に沼地があったのが、産湯のあとと称せられており、森の内はだれも斧鉞を入れず、その祟りをおそれている。(亀多桃平)
[HOME] [TOP]