● 姫谷池
 五條市南阿田町(旧宇智郡南阿太村南阿田)
 南阿太の奧の谷に池がある。昔、ある家の娘が、その池へ洗濯に行くと、池の堤にかんざしが落ちていた。拾って頭にさすと、かんざしが大蛇になって、見る見るうちに娘をのんでしまった。夕方になっても帰らないので、両親は心配して、近所の人とともに池のところへ探しに行くと、そこに下駄や洗濯物がある。池の主にのまれたとわかり、そこに石碑を立て、池を姫谷池と称するようになった。池は今でもうす暗くて気味の悪いこと甚だしい。(山高顕聖)
● また 五條市南阿田町(旧宇智郡南阿太村南阿田)
 姫谷池にはいま一つの伝説がある。
 源平時代に平家の落人の一群が、この村の山奥へもきてかくれた。その中には妙齢の姫君も交じっていた。娘は両親にも生き別れて復仇の思いに燃えていた。そこへまたひとりの平家の残党がこの村へ入ってきた。侍大将をつとめた程の一方の勇士で、すでに妻子のある身分だった。姫は何とかしてこの武士の力によって一旗あげようと念願したが、いつとはなしにふたりの間に相愛の情が起こって、姫は妊娠の身となった。この時、追手がきて男は非業の死を遂げた。姫の失望ははなはだしく、腹の子供といっしょに永遠の恨みを抱いて、この池の藻屑と消えた。それから後、姫の亡霊が時々出てきて、道行く人を池の中に引き込んだという。
 (羽根準一郎)
● 近江源蔵の墓 五條市湯谷(旧宇智郡南阿太村湯谷)
 湯谷の墓としるした碑が立っているが、村人の間では歯痛地蔵の名で通っている。昔、ひとりのこじきがこの土地にきて、死ぬ前に、「自分が死んだら豆を供えてくれ。そのお礼には歯痛をなおしてあげる。」といったというので、土地の人がこの碑を立て、近江からきた者というので、いいかげんに「近江源蔵」としたというが、このお祭りは旧三月十九日である。この墓碑には「万延二年酉二月世話人常楽屋善兵衛」とあり、「五条陣内木村氏、常田半七、鈴木林八、山田与助」と刻まれている。歯痛の時はいり豆一つかみか、ほうらくを供えると直して下さるという。
 (北作治・亀多桃平)
[HOME] [TOP]