● 掖上<わきがみ>のホホマ丘
 御所市本馬町(旧南葛城郡掖上村本馬)
 本馬の本間丘は、神武天皇のお登りになった掖上のホホマ丘だといわれている。天皇が大和平定後、この丘にお登りになって大和の国をご覧になり、
 「ああ何という美しい国であろう。国原は緑したたる山々にかこまれ、あたかも蜻蛉<あきつ>の臀拈<となめ>しているようだ。」
と仰せられた。それからこの付近をアキツとよぶようになり、ついに日本の別号「秋津洲」の名が起こったといわれる。今でも本馬山のすぐふもとの柏原には神武天皇社や、前后吾平津媛をまつる ほほ間神社がある。明治初年、笛吹明神の神官がこの故事により、畝傍の橿原神宮から本馬丘まで巡幸にちなむ行事を行なった。
 また、斉明天皇を越智岡に葬った時、本馬丘の木を切ることを恐れ、遠くから運んできた。今の車木村はその車のついたところであると伝えている。(池田末則)

● ほほ間神社のよめいり道 御所市柏原(旧南葛城郡掖上村柏原)
 ほほ間神社は「ほんがらの宮」ともいう。「ほんがらさん」は、大昔、曽我川のはんらんで流されてこられたのを救いあげて祭ったものといわれる。婚礼の行列は決してこの社の前を通らない。この社の東側に俗に「よめいり道」というのがあるが、どうしても通行せねばならぬときの通る道である。
 昔、神武天皇が大和平定後、三輪のひめたたらいすず姫命を正妃に迎えられたので、前の妃の吾平津媛<あひらつひめ>はこの地に住まわれ、その怨恨が夫婦をのろうのだという。 (池田末則)

● ホコラの宮 (南葛城郡掖上村柏原)
 柏原の豪家、藤井家の傍にホコラの宮とて、さゝやかなお宮がある。今でも婚礼の行列はその前を通れない事になってゐる。「若し強いて通れば、必ず不縁になってしまうと云う。己むなく通るのだったら、莚<むしろ>か、幕を張って祠を蔽う。是は昔、神武天皇が、姫蹈鞴五十鈴姫ノ命<ひめたたらいすずひめのみこと>を皇后に迎えられたので、前后たる吾手津媛が別れてここにわびずまいをされた。その怨恨が今も夫婦の縁を咀って居られるのだと云う。(吉村清太郎)

ほんがらさん



[HOME] [TOP]