● 伊賀見

 大字伊賀見の名は国見山のオウジョウ(大丈)という所から伊賀の国が見えるからの名で、晴天なれば生駒山のケーブルも江州(滋賀県)も見える。それで伊賀見という。
● 鐘田
 大字伊賀見にあり、開善寺が元亀二年に織田信長に破られて廃寺となった。その時梵鐘は敵の手に渡したくないというので寺の近くの泥田に埋めた。そこを「つりがね田」という。その泥田は底が深くてわからない。そして所有者も転々として変わることで有名である。昭和になってからも持主は数人も代っている。物価が上がり土地の値も上がるのが普通であるが、この土地だけは、だんだん下り安くなる。この「たんぼ」(田)を持つと家族は不幸が起こると伝えられている。
● 良弁僧正の墓
 大字伊賀見の開善寺跡に良弁僧正の墓がある。東大寺の初代別当良弁僧正が厳しい戒律を犯し一人の女性と駆け落ちして曽爾谷の伊賀見に隠れた。そして開善寺を建てた。そして良弁僧正は伊賀見で死んだ。その墓が字政木にある。無縫塔型で文字は刻まれていない。良弁の名を秘すためだという。石塔の下から壺と骨灰が出た。この伝説を裏付けるものに東大寺の記載がある。「良弁僧正相模国人、漆部氏、持統天皇治三年己丑誕生、義淵僧正弟子、金鷲井是也云云。宝亀四年補僧正年八十五、同年閏十一月十六日入滅、同十九日拾遺骨遂葬宇陀郡賀幡山云々」とある。この賀幡が川股のことで伊賀見は川股村と伊賀見と合併した村である。
 良弁が建てた開善寺は織田信長に攻められて三百人ばかりの僧兵と防戦したが、焼失したので池の坊に移した。鐘つき堂があり鐘があったが洪水で流れた。今も権大僧都云云の銘のある塔がある。他に墓碑も数基ある。再び焼けて現在の地蔵寺となった。ここに観音さまを安置してあるがコワイ観音さまとして別堂に納められている。
● 天王社
 二叉の大杉大字伊賀見にあり、背後に小丘あり、正一位牛頭天皇の石碑本殿は春日造り、極彩色で、左右に小さな祠があり、拝殿の左に二叉の大杉がある。そのもとに自然石に「正一位牛頭天皇」と刻んだ石がある。石灯籠に「享保十七子壬年九月十二日」(左)、「時享保十四酉己歳八月十四日」(右)「施主当村北畑彦左衛門」とある。ここは牛の神さまで飼牛が病気にかかると牛をつれて「牛のくつ」を供えて全快を祈ると霊験あらたかであるという。


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