明神池
● 明神池の大蛇

 昔、役の行者が大峰山に入った時、大蛇がいたので、行者は高下駄で三つに踏み切り、これを錫杖ではね飛ばしたら、頭は有馬の池に落ち、胴は北山の明神池に落ち、尾は猿沢の池(一説に山城の巨椋の池)に落ちた。
 それで、有馬の池では、時に人の沈んで帰らぬことがあり、猿沢の池(あるいは巨椋の池)には、時に波だつことがある。
 そして、この明神池では、かつて、龍が天上したことがある。ある時、物好きの者があった。この池に船くぎを投げ込むと、龍が出現するということをきき、真偽を試して見ようと思って、どこからか船釘1貫匁(4kg)ばかりを求めてきて、この池に投げ込んだ。しばらくすると、ものすごい黒雲雷鳴と共に、水面が急に波立ち、池の中ほどから、大龍が現れ、男は気を失ってその場に倒れたという。
 (平井久五郎)
● 池峯の池 (吉野郡下北山村池峯)
 下北山村の大字池峯に、池峯の池といふのがある。北山川の支流、池の郷川の源をなしてゐて、周圍十二丁ばかり、畔には数百年を経たであらうと思はれる老杉が、晝(ひる)も尚暗く茂って居る。
 池の水には不思議がある。晴雨に拘らず時あって増減し、晴天の日でも、若し水を汚す時は、忽ち暴風雨が起こる。死人等を運んで此の畔を通りなどしようものなら、たちどころに不祥事が起り、危難を受けると云ふ。
 又、此の池の中に大木があって、平素は認め難いが、國家に大事の起る前には、必ずその姿を現し、そして其の位置を移動すると云ふ。(榎朝義)

● 明神池の浮木様 (吉野郡下北山村池峯)
 下北山村には、海抜二千尺にも余る高い山の上に、池峯と云う部落があって、そこにはこの村唯一の氏神様・池神社がある。亭々として林立する杉の大木の森厳なる社叢の下に鎮座して居る。社前には、水面十町歩位もあらうかと思はれる幽邃なる明神池が、千古の秘密を湛へて居り、神の怒があるときは、この水が社苑を浸すと傳へられる。
 この明神池に、ウキサマと云はれる一種の浮島がある。古い大木の末木の様なもので、苔蒸して、種々の小さい木が、その上に生えてゐる。常には見えないが、時に浮き上がって池上をケルケルと回遊するといふ。
 昔天正年間に、豊臣秀長の落胤と云はれる吉川三蔵、及び平助と云ふ兄弟があって、熊野・北山地方に来住して居た。両人とも豪放不羈で、
 『世に、魔所などと云ふ所はあるものではない。』
と云って西の刻以後には登るべからざる所となって居る新宮の神倉にも、夜間屡々登山して、故らに狼藉の所行をしたりして居た。丁度その頃、大阪城天守閣建築の土木が起こり、其のご用木として、明神池の邊にある『矢立の杉』を奉れとの命が下った。是は池神社の社殿からは北十二三間の距離にあり、直径一丈餘り、池畔の大木群中でも殊に目立った者で、昔から神木として、畏れ崇められて居た者だから、里人の間にも、進んで之を伐らうと云ふものはない。その時、三蔵・平助の兄弟は、『ナァに、神木もなにもあるものか。』と云ふので、笑って其伐り役を引受けた。さて大斧を執って着手してみると、一度打ち込むごとに、斧の刃がつぶれてしまふ。何度もつぶされては磨ぎ、磨いては打込みして、一日の仕事も、ホンの僅かしか捗らず、呟きながら其の日は引き取った。
 翌日朝早く、兄弟は斧を磨ぎすまして、今日こそはと意気込んで行ったところ、昨日の伐り屑は、一夜の内に、元の通り木に還り、何處を伐ったか痕形もない。是はと驚いたものゝ、豪膽な彼等は、又初めから伐りにかゝり、若干を進めておいて歸って来た。さて、其翌日いって見ると、又々同じ樣に、伐屑は木に返って、木はもとの幹になって居る。そこで、兄弟は考へた揚句、是は日中の切り屑を、焼殺してしまふのが、よからうとて、その日出た丈の屑を、夕刻悉く焼捨てゝ歸ることにし、到頭、彼の神木を伐倒したといふことである。
 この矢立の杉の末木が、辻堂の池の端にあって、大阪落城の砌に、池の邊を、七日の間廻遊したといふ。その後も、大阪城に不幸異變がある場合は、池の中を廻遊したといふことである。
 この三蔵平助は、又或時、明神池の水を、山麓の池原の村へ切落さうと考へ、工事に着手した。その折、池の中央から、忽ち波立つよと見て居ると、睡氣を催して、ウツウツと一睡したと思ふ間に、早くも三年の月日がたって居り、鍬の柄は腐朽して居た。流石の三蔵平助も、之にはまゐって事業を中止したといふことである。
 (平井久五郎)

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