入鹿神社の伝説 (橿原市小綱町)
 蘇我入鹿が鶏鳴を合図に首をはねられたので、昔は小綱では鶏を飼わなかったといわれる。また、小綱で生れたものは多武峯へ参ると腹痛が起るといわれ、また、高市郡明日香村の小原は藤原鎌足の母の出世地だというので、小綱小原は縁組しないといわれた。

● 入鹿の首の落ちた所 (高市郡真菅村曾我)
 昔、鎌足に打たれた入鹿の首は、現在の曾我の東端『首落橋』の附近にある家の邊に落ちた。それで、其家を※『おつて家』と呼ぶ。
 昔は猶飛んで、遂に大和・伊勢国境の高見山に落ちたと云ふ。
 曾我の氏神曾我都比古<そがつひこじんじゃ>神社(現:宗我都比古神社)は、曾我の森にあって、俗に入鹿宮といふ。其氏子たる曾我の村人は、隣村小綱と共に、彼の鎌足を祀った多武ノ峰には、決して参拝せず、彼の村とは絶対に婚姻も結ばない。
 曾我の森の西北に『中曾司の十三塚』がある。入鹿と鎌足との戦の、戦死者の塚だと云はれる。(崎山卯左衛門、東蕗村)

※『おつて家』また、「オツテ屋」「オツタ屋」「オツト屋」となっている
● 又(入鹿の首の落ちた所) (高市郡曽我及小綱)
 高市郡真菅村曽我に、通称『おつとや』という家がある。昔、蘇我入鹿が、こゝまで馬に乗って遁れて来たが、追手の為に首を斬られ、それがこゝに落ちたので『おつとや』というのだと伝えられている。
 曽我の東に小綱《しょうこ》という村がある。高市郡今井町に属している。こんな歌がある。
  何が小綱(証拠)に今井とおっしゃる
    曽我におちど(おつとや)があればこそ。
 又、曽我と小綱の間には、大きな『ゆのみの木』(榎)があった。
  曽我と小綱の間のゆのみ
    枝は小綱で根は曽我や。(辻本久壽夫)

● 礎石の本尊 (高市郡真菅村地黄)
 地黄の観音堂の本尊は、昔、1寸五分の黄金佛であったが、或大風雨の夜、盗賊が之を取りに来たとの噂があったので、村人総出で警戒していると、其夜は何事もなく、其警戒を解いた次の夜、マンマと盗み去られてしまった。今の東京浅草の漢音はその佛像だと云う。
 現在の地黄観音堂の本尊は、一の大石で、其面に、
  有難や不思議や身は外に
    心は此処にかたき石佛。
と仰られている。是は彼の盗難の後、村人への霊夢の告によって、堂の乾にあった礎石を取って、代りの本尊とした物だと云う。(崎山卯左衛門)

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