● かまふち
 宇陀郡榛原町内牧の伊豆神社は、彦火々出見命をまつってあるが、もと牛頭天皇(すさのおのみこと)をまつってあった。この地方の乱暴者が、肥桶をになって神社の裏の細道を歩いていると、取ってほられた。それで、腹をたてて御神体を川へ流した。前はすぐ宇陀川の支流で、それが葛尾の川原まで流れてきて引っかかって、一事停滞した、そこには今も小さなほこらがある。さらに流れて天王(中峯山)の釜淵の釜穴についた。それを水泳ぎをしていた予野(三重県下)と天王(中峯のこと)の子供がみつけた。魚すくいの大人が、釜淵のハコヒツをすくいあげようとした。
 天王の人がまず幣をすくいあげ、木の台にのせ木矛でになって帰った。そしてまつったのが神波多神社だという。祭礼の渡御に長老が木矛を持って渡るのはそのためだという。明治維新まで天王(中峯山)の神主の家へ、予野ふれまいといって、毎年予野の人を多数招待して、ふれまいをするのが常であった。
 (馬場直道・井戸上弘道)
● 田を荒らした画牛 山辺郡山添村中峯山(旧山辺郡波多野村中峯山)
 昔、ひとりの旅僧が、中峯山の寺に宿り、十日あまりも何もせず、ただ、天王社(神波多神社)の壁に牛一頭だけ描いて、飄然と立ち去った。その後、村内では、稲田が毎晩何ものかに食い荒らされた。いろいろ探求して、その怪物は寺の画牛が抜け出しているものとわかった。それから、前の旅僧を求め、伊賀の上野で追いついて、牛のかたわらに松を描き添え、縄でその幹につなぎとめた形に改めてもらうと、稲の被害も、それきり止んだ。
この絵師は、狩野法眼元信であったという。村では今でも稲の用心のために、不寝番が行なわれる。また、毎年牛飼いは牛をひきいて、この天王社に参ることになっている。(乾健治)
● 舟岩 山辺郡山添村中峯山(旧山辺郡波多野村中峯山)
 中峯山の小字オクヤデの山中に、ふな岩という大石があって舟の形をしている。昔、素戔嗚尊が、ここまで乗ってこられたものが、石になったのだという。一説には、神功皇后が三韓征伐から帰られた後、捨てられた舟が岩になったともいう。
 (森川辰藏)
● 天王のカマフチ 山辺郡山添村中峯山(旧山辺郡波多野村中峯山)
 中峯山<ちゅうむさん>の名張川、もとの天王の渡し場の上流の淵に、水中に大石がある。石は河水の増減に従って出没するが、中央に直径三メートル許りの穴があって、流水と同平面の水がたたえ、石が水に没した時には、水面に渦ができる。昔からその深さを知ったものはなく、恐れて近づくものもない。
 水は出雲の国まで通じているといわれる。かつてヌカをこの穴に入れたら、出雲に出たか、あるいはその反対に、出雲で入れたらこの穴に浮かんだという伝えがある。ここはまた、波多野の天王さんの旧住地だったと伝えられる。(森川辰藏)
● 天王さんのお渡り 山辺郡山添村中峯山(旧山辺郡波多野村中峯山)
 中峯山にある神波多神社は、「波多野の天王さん」と呼ばれ、最近まで県社であった。毎年十月十五日の例祭当日、神輿<しんよ>が六〇〇メートル許り外の牛ノ宮まで遷幸がある。お渡りの途中で人々が「マジャラク、マジャラク」と口々に唱えながら行く。これは、昔、天王さんは名張川のカマフチに住んでおられ、中峯山の人々が今の社地に祭った。その時、天王さんが「マジャラク、マジャラク」といいながら連れて行ってくれ、といわれたからだという。(奥中梅太郎)
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