● 新の口 橿原市新口町(旧磯城郡多村新口)
 この村に今でも古井戸がある。昔、聖徳太子が橘寺から法隆寺へ学問のためにお通いになっていた時、のどがかわいたので、この井戸の水を汲んでお飲みになった。非常においしかったので、
 「口中これ新たなり。」
と仰せられた。それからこの村を「新の口」と称するようになったという。
 (池田初太郎)
● 膳夫姫と貰田 《かしわてひめともろた》 
  橿原市膳夫町(旧磯城郡香久山村膳夫)
 聖徳太子のおきさき膳夫姫は、ここの人で、野でせり(芹)を摘んでいるときに太子に見そめられて、宮中にかしずいたのであるという。
 姫は今の貰田家の先祖で、太子から一町四方(一ヘクタール余り)の屋敷をもらったので、今でも貰田という地名もある。ここの家に姫の木像を安置している。
 (乾健治)
【膳夫寺】《かしわてでら》 橿原市膳夫町
 聖徳太子の妃膳夫姫がその養母古瀬女の菩提のため、寺を建て安置し二階堂と名付けたと寛文の和州寺社記に見えます。永正十二年(1515)八月の膳夫庄差図(談山神社蔵)に「膳夫寺」の文字が見え、付近にカワラカマ、タノウダン、カワトウの地名が見えます。現在の小字瓦釜・古塔にあたると思われます。
 膳夫寺の後身と伝える保寿院の前には礎石が二基出土しています。その一つは二段の円形造り出し(柱座)があり、中央に経約20cmの円孔があります。また、付近から白鳳時代の古瓦も出土しており、昭和55年に香久山小学校内で発掘調査を実施したときも多数の瓦が出土しました。
〜案内板より〜
写真:膳夫寺の後身と伝える「保寿院・真言宗豊山派」


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