● 八幡平と三ノ公皇居跡 (吉野郡川上村入之波)
 獄門平からさらに一キロ奧へ行くと、八幡平に着く。山奥の峡谷には珍しい広いところで人家が三軒ある。この八幡平の奧に、樹木に囲まれた、間口二〇メートル・奥行三〇メートルぐらいの広さの社地に、八幡社のほこらがある。
 もとは三ノ公大明神といった。三ノ公大明神とは、この地で即位された御南朝の万寿寺宮尊義王の尊霊をいう。王は位を自天王(尊秀王ともいう)に譲られた後、四十五歳でなくなられた。
 村人は、これを三ノ公大明神とあがめ、ほこらを建てて祭ったが、時の室町幕府をはばかって八幡社と号したという。三ノ公の地名は、王とその二王子の三公のことで、昔は三ノ君とも書いた。(上野恭雲)



三ノ公神社
● 上谷川の馬の背 (吉野郡川上村上谷)
 上谷《こうだに》には、吉野川の支流上谷川がある。小さい川だが上流の谷合だから、異様な岩などが多い。其一つに『馬のせ』がある。それは、大小二つの瀧が並んでいる間に高くなった岩が、馬の背に酷似しているから云う名である。付近一帯は断崖絶壁で、それから上に登ることはできない。又其瀧壺は大変大きく、それに風が舞い込むと、大層な音が立ち、はげしい時には、三十丁程も離れている村里まで聞こえる。此音が里に聞こえると、雨の兆しとして警戒されることになっている。そして、きまって雨がふる。
 昔、一人の落武者が、馬上で村里に現れ、熊野の方へ往くと云って、上谷川を遡っていった。村人は前途に大きな絶壁があって、到底登れないからと止めたが、武士は聴かなかった。やがて其場について、どうしても登れないので、武士は神様にたより、大字の馬を捧げるからとて、三日三夜祈りつづけた。三日目の夜になって、大嵐が来た。暫くすると瀧の上に美しい神女が現れ、武士に向って手招きした。
 そこで武士は、其馬に一鞭あてると、馬は楽々と其断崖を駆上っていく。然るに、最後のいま一足という所になって、急に馬が止って、どうしても動かなくなった。武士は遂に腹を立てて、刀を抜いて其馬の首を斬った。馬の首は武士と共に、深い瀧壺に落ちた。馬の背や胴は其場に着いてしまって石になった。それが今の『馬のせ』である。今小さい方の瀧の水は、赤くなっているが、それは当時の馬の血である。時々の瀧壺の大音響は、馬のいななきであると云う。(貝田義信)
● 投げ地蔵 (吉野郡川上村神之谷)
 昔、役の行者が、大峰山を開かれる時、俄に空が掻曇って、怪しいものが降って来た。行者は、おのれ修行の邪魔をすると怒って、手に持っていた錫杖のさきで、其ものを撥ね飛ばされた。それが神之谷《こうのだに》に落ちた。今は金剛寺に安置されて居り、石楠の木造りで、投げ地蔵と呼ばれる。(大谷政義)
● 役の行者の姿 (吉野郡川上村北和田)
 北和田に水晶の岩屋と呼ばれる鍾乳洞がある。奥行一丁許、一部分が白く光っているので此名がある。其一番の岩に、『役の行者の姿』といわれる形が出来ている。昔、役の行者が其下で行をしていると、姿が其岩にうつツたのだと伝えられている。(下辻正次)
● 血の出る木 (吉野郡川上村北和田)
 北和田の氏神境内の神木に、根元は一本で杉と檜とに上が分かれている一株がある。昔から、其木に傷を付けたら赤い血が出て、其人は病気になって死んだ、というような話が沢山ある。(下辻正次)

● 軍勢岩と御首岩 (吉野郡川上村柏木及び寺尾)
 柏木に軍勢岩というのがある。石灰岩だが苔などが着いて黒くなっている。昔、南朝の忠義王が、赤松方の為に三ノ公という所で命を隕された。赤松方は其御首を持って、京都に向かう途中、冬の事で、雪の中に此黒い石の立っているのを見て、敵軍だと思い、外の道に避けた。此時軍勢と見えたから此名がついたと云う。
 又、寺尾と吉野川を距てた塩谷の大西助五郎という者が、宮方であって、赤松を矢で射た。併し赤松もさる者で、来る矢も来る矢も、手で掴んだり口でくはへたりして止めた。大西は考えて今度は二重矢で射た。赤松はそれとは知らず、また其矢を手で握り止めたところが、続いて又一筋の矢が中から出て、赤松のノドに中り、赤松は絶命したと云う。(阪谷隆雄)

● 神主二人ある神社 (吉野郡川上村高原)
 高原の氏神には、普通の例とちがって、神主が二人居る。是には由来がある。
 昔、天子の位に即かるべき皇子が二人並んで居られたことがある。皇子達は未だ幼少で何もお分かりでなかったけれども、其臣下同士が非常に競争をし、遂に両方から一人づつの相撲の選手を出し、其勝負によって、一方の皇子を天子と戴こうと云うことにした。其結果、負け方の皇子は、此高原に退いて永く住まわれ、ついにおかくれにもなったので、相撲の神として、ここに祭ることとした。即ち今の氏神で、相撲は二人ですることだから、神主を二人置いた者だと云う。
 又此神社の例祭は十月十日であるが、此日のゴクマキ(御供餅撒き)も、他の村々と異なっている。それは、村で二十五歳の青年が、美しい長襦袢を着、美しい襷をかけ、女の様な姿をして、お宮の庭を駈けあるきながらゴクを撒き、参詣の村人も、それに連れて駈けまわりながら拾う。是も此神様が、生前此様な事を好まれたから、する事だと云う。(井本瀧三郎)
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