● 大日堂の鐘の行方
 (大和高田市高田)
 幕末の頃、荒れはてていた大日堂の鐘を売った。その鐘は郡山の高田口にある寺へ売られていったが、ある夜、鐘がここの和尚さんの夢枕に立って、
 「ふるさとの高田が見えないので、どうぞもっと高いところへ移して下さい。」
といった。和尚さんは檀家と相談して、
 「せっかく買ってきたのを返すこともならず、いっそ、よそへ売ってしまっては。」
ということになり、道具屋の世話で山城の高田村へ売ってしまった。ここでも寺の和尚さんの夢枕に立って、
 「ここも高田で嬉しいのですが、山が邪魔になって大和の高田が見えません。もっと高いところへ移して下さい。」
と頼んだ。初めは気にもとめなかったが、何度も夢を見るし、鐘の音も妙に寂しく聞こえる。檀家の人々に相談すると、村一番の老人が、
 「それならよいことがある。あの鐘には見事な銘文を鋳込んであるので、鐘を勧進した和尚さんや庄屋さんや村人の魂がこもっているからにちがいない。だからあれをなくしたらよい。」
といったので、その銘文を一文字残らず削り取り、ねんごろに供養した。それからは魂のぬけた鐘に何の変ったこともなく、よい音色を村中に響かせているという。 (堀江彦三郎)
● 長谷本寺《はせもとでら》の観音 大和高田市高田(旧北葛城郡高田町)
 高田の観音堂が長谷本寺と呼ばれるのは、長谷寺の本尊十一面観音と同木で、その本木で作られてあるからだという。
 昔、大水が出たとき、近江の国高島郡へ大きな木が流れついた。ある人がその木を切るとたたったので、だれも手をふれなかった。商用で通りかかった大和の国の葛城の人が、
 「それでは供養のために仏様を作ろう。」
と当麻までひいて帰ったが、仏様を作らぬ先に死んだ。そこで高田の人がこれをひいて帰り、この霊木でりっぱな十一面観音像を造り、寺を建てた。これが高田の観音堂の始まりだが、元正天皇のころ、徳道上人が長谷寺を建立し、同じ木で十一面観音を作られたという。(堀江彦三郎)
● お七川 大和高田市本郷町(旧北葛城郡高田町)
 井原西鶴の「好色五人女」で知られた八百屋お七の物語は、高田本郷に起こった事件を江戸に舞台を替えたという伝説がある。八幡筋一丁目の八幡宮西側には「お七川」が流れ、この水を火傷に塗ると早く治るといわれる。
 また、常光寺にはお七の数珠を秘蔵し、その親玉には、「享保十年十月十四日しち菩提」の銘がある。(大和高田史による)
● 笠神の森 大和高田市春日町(旧北葛城郡高田町春日)
 春日町笠神に笠神のもりがあって、老樒が繁っていたが、近年、この辺に人家が建って、わずかに跡をとどめているだけになった。静御前が病を養っていた遺跡と伝えられ、付近の道路は嫁入りが通らない。(大和高田市史による)
● 磯野禅尼《いそのぜんに》の故郷
  大和高田市磯野町(旧北葛城郡高田町礒野)
 磯野は静御前の母、磯野禅尼の故郷だといわれる。静御前が鎌倉から京都に帰ってのり、母の故郷、磯野を慕い、三本松・笠神の森などで病を養い、この地で終わったと伝え、磯野の東北方の藤木にその塚があるという。(大和高田市史による)

● 静御前衣掛松 大和高田市磯野東之町(旧北葛城郡高田野磯野)
 高田高等学校の運動場に三本松があった。昭和になって最後の一株も風害で倒れ、今は跡かたもないが、もとは古墳であった。昔、この松は静御前衣掛松といわれていた。(大和高田市史による)
● 一本木の野神 大和高田市今里町(旧北葛城郡浮孔村今里)
 今里の西南、高田・根成柿《ねなりがき》線道路脇に榎の巨木があり、しめ縄をはり、石灯籠を献じ、毎年五月五日には祭事がある。この一本木の榎を野神さんとして祭っている。天文年間に今里村の名主が金剛山の法起菩薩に月参りして三六〇回におよんだが、ある時の夢に、菩薩の分身を未申角《ひつじさるすみ》の榎の大木に移らせるとお告げがあったという。
 また、昔ここの祭りの時、ほうらくの煤《すす》をつけあいして争いになんったことがあるが、その年は豊年で米が倍もとれたので、毎年の神事にはほうらくの煤を塗ることになったという。(大和高田市史による)
● 曽大根のさいかち 大和高田市曽大根(旧北葛城郡浮孔村曽大根)
 曽大根の南端の川岸に、さいかちという大樹がある。高さ10メートルもあり、横の道路を通ると頭に枝がふれるくらい繁っている。ある日、村人が作物の苗をかついでこの木蔭の橋を渡ると、橋の上へ小蛇がおりてきた。籠で除けようとすると、たちまち大蛇になっておそいかっかったので、驚いて家へ逃げ帰った。その夜から高熱で臥したという。
 また、ある青年が、川の護岸工事でこのさいかちの根を切ったところ、数日後に急死した。村人はこの木を霊木として恐れ、そのかたわらに白龍大明神を祭った。 (大和高田市史による)
● 伝助火 北葛城郡広陵町笠 (旧北葛城郡馬見町笠)
 笠は郡山藩の領地で郷倉があった。昔、伝助という男がこの倉庫にはいって藩米を盗んだことが判明し、捕まえられて田原本から大阪に通じる馬渡しの橋のたもとでしばりつけられた。身を半埋めにして、通る人々に竹鋸《たけのこぎり》で首を斬らしたという。それから正月十五日になると伝助火が出るといわれている。
 (大和馬見史による)
● 真紅のなでしこ 北葛城郡広陵町笠 (旧北葛城郡馬見町笠)
 昔、大和平野になでしこの花が一つもなかった。中将姫がなでしこの種子を高田川の堤にまかれたので、それからきれいな花が毎年堤防に咲き乱れるようになったという。ここのなでしこの花は他のものとは少しちがっていて、色は真紅である。
 (大和馬見史による)
● 血黒池 北葛城郡広陵町笠 (旧北葛城郡馬見町笠)
 昔、中将姫が高田川の堤防を奈良から当麻寺へ通われた時、笠を通過の際に折悪しく女性の月にものがあったので、着物をここの小池で洗われた。それでその池を俗に血黒池といった。 (大和馬見史による)
● 血の出る木 北葛城郡広陵町三吉 (旧北葛城郡馬見町三吉)
 巣山古墳の後円墳の石室の前に、切ると青い血の出るといわれている神木がある。カタツケバといい、葉を火にあぶると形がつく。
 この葉をとっても血が出ると伝えられ、恐れてさわるものがない。里人はこの古墳を敏達天皇の皇子彦人大兄《ひこひとおおえの》皇子のお墓といい伝えている。
 (大和馬見史による)
● 麦飯宵宮 北葛城郡広陵町三吉(北葛城郡馬見町三吉)
 斉音寺の天神神社のことを麦飯宵宮という。昔、小宮であったので祭典がなかった。すると、
 「麦飯でよいから祭りをしてくれ。」
と神様のお告げがあった。それで今も麦飯宵宮という。 (大和馬見史による)
● 巣山の大蛇 北葛城郡広陵町三吉(北葛城郡馬見町三吉)
 巣山古墳の堀に大蛇がいて、新木山古墳と通行しているという。大蛇は黒と青竹色と二匹いて、からかさをたたんだほどの太さがあり、通ったあとは草が倒れているという。 (大和馬見町史による)
● 村へ帰られた地蔵 北葛城郡広陵町三吉(北葛城郡馬見町三吉)
 大字三吉の字大垣内に地蔵堂があり、地蔵菩薩の木像をまつっている。享保年間に、安置の木像が行方不明になったことがある。村人は知らなかったが、尼僧の智林・智縁の姉妹にお告げがあった。
 「河内の国春日の里に移されているが、郷里の大垣内の地蔵堂に帰りたい。」
と申される。
ある日、春日の人がきて、この地蔵さんを安置せよといって、もとの地蔵を持ってきた。それから村人は霊験のあらたかなのを感じ、一そう強く信仰した。
 (大和馬見史による)
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