● 腰折田
 (北葛城郡五位堂村)
 五位堂村字良福寺の西南は、県道の近くに、腰折田<こしおれだ>という所がある。昔、野見宿禰が、當麻蹶速を倒した地であるという。又一説には、當麻蹶速が、垂仁天皇の七年、自ら宮中に至って、試合を請うたので、倭直岡長尾市が奏して、出雲の國から野見宿禰を召され、之と角力をさせられたが、蹶速の脇骨が折れて斃<たお>れたので、その賞として、蹶速の地を宿禰に賜はったのが、この腰折田だともいふ。(澤田四郎作)
● 魂火の会合 (北葛城郡陵西村市場)
 南市場の南方、東西に走った県道の路側に、非常に古い大樹がある。昔、二人の親友があって、一人が此木で首をつッて死に、他の一人が大字尺土<しゃくど>の墓地で死んだ。それから後雨の夜には、必ず此二人の魂火が南方から現れて、其中間邊で何か話し合って、暫くすると南方へ別れて帰るということである。
 (中西忠順)
● 白蛇の木 (北葛城郡陵西村北市場)
北市場の東端の家屋から、約五十米東方の十字路の側に、大樹があり、その下に地蔵がお祭りしてある。昔、或悪い坊さんが悪いことをして来て、このお地蔵さんの前で憩うてゐると、その木から、白い蛇が出て来て、その坊さんを絞め殺したといふ。 (中西忠順)

● お菊虫 (北葛城郡磐城村竹ノ内)
 昔、竹ノ内に櫛屋が住んでゐた。家が貧しかったので、その娘のお菊といふのが、郷倉へ忍び込んで米を盗まうとして、村人から発見された。遁げまどうて、今もある油喜の家の前の榧<かや>の中にかくれ、遂に突殺されてしまった。それ以来、毎年春さき、その殺された当日から、此地から川下へかけて、蛍の様な光を放つ虫が一面に現れることになった。其地より上流にゐることはない。虫はお菊虫と呼ばれ、櫛の形をしてゐて、櫛屋の妄念だと言はれてゐる。(澤田四郎作)

● 業平別業の趾 (北葛城郡王寺町)
 業平が河内通いをやめるようになってから、しばらく棲んで居たという址が、王寺町・久度・大和川堤防の近くにある。近年まで、小松数本生えていた。今は拓かれて借家になった。(森本種次郎)
● 達磨寺内の名所 (北葛城郡王寺町)
 達磨寺は王寺町に在る。本堂の左に、垣で囲まれた小さな竹藪がある。昔、聖徳太子が来られた時、其杖を挿しておかれた。夜が明けてみると、それがよくついて竹になっていたのが、是だと云う。
 其うしろに廻ると、一躰の石像がある。昔、此寺の住僧某が、断食の行をした上、此下の石室に入定した。其像である。当時、其下に埋められてから二週間は、鉦を打つ音がして居たと伝えられ、今も地に耳をあてゝみると、音が聞えると云う。
 其傍に又一の洞穴がある。今は一間ほどで塞がっているが、昔は東北一里余の法隆寺まで、トンネルの如くになって往来された所だと云う。(池内義治)
● 平野長者の屋敷 (北葛城郡志都美村平野)
 平野に、昔、平野長者といわれるのがあった。大邸宅を構えて盛んな者であったが、旧くからあった椿の大木を伐ったのが祟って、家族が一人死に二人死に、ついに一家全部死に絶えたという。椿の木は、あとから村人が植えついた小さいのが今もあるが、さわると腹痛が起ると言われている。(石本早雄)
● 美人の生まれぬ村 (北葛城郡五位堂村五位堂)
 昔、五位堂には弁才天を祭った祠があったが、いつしか廃れはてゝ、今は其跡さえ分らなくなっている。この村に美人の生まれて来ないのは、それが為だという。
 此地方では、弁才天をまつった村ならば、美人が多く生まれる者と言伝えられているのである。(澤田四郎作)
● 掘れば火の雨が降る塚 (北葛城郡陵西村南市場)
 南市場の東方に、約五十平方米位の塚がある。中には、昔の武士の鎧や兜や、其他一切の武器が埋められて居るという。若し其塚を掘ると、火の雨が降るとて、今も誰一人さわる者はない。(中西忠順)
● 蛇越のツイ (北葛城郡陵西村野口)
 野口の少し西方に、細いツイ(溝)がある。今は、たゞ普通の溝であるが、昔は竹や木が茂っていた。或夏の真昼、大雷雨で暗黒になって、大水が出た時、大蛇がツイの石垣の上を越したので、今に蛇越ノツイと呼ばれる。(中西忠順)
● 松柿の木 (北葛城郡磐城村)
 磐城村に、松に接がれた柿の木がある。文明十九年に、蓮如上人が巡錫の際、この地の家主彌七郎という者に、他力信仰をすゝめた。彌七郎は、そこで、松の木に柿を接ぎ、若し彌陀の本願虚妄ならば、此木も空しくなるであろう、と試した所、立派に其木が育って、今の如くなったのだと云う。この柿の実をツルして食べると、腹痛がなおるという。(山田熊夫)
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