● 尼が池 (大和郡山市北郡山町)
 中納言豊臣秀俊は、ある日、臨月の婦人をとらえ、
「腹をさいて、胎児を見せよ。」
とせがんだので、妊婦はおどろいて髪の毛をきり、尼となって命ごいをしたが許されず、ついに腹をさいて胎児を出し、池に身を投げてしまったということから、尼が池と名づけられるようになったという。(郡山町史)
● 蛇が池 (大和郡山市柳町)
 矢田口から大織冠に通じる道に、忍術師が住んで似た。今もこのところを忍ぶ町とよばれている。ある日、豊臣秀俊が蛇が池を見て、忍術師に、
 「この池から大蛇を出して見よ。」
と命じたので、忍術師は一心に呪文をとなえると、空池がみるみるうちに満水し、たつみの隅から大蛇が飛び出し、秀俊を一のみしようとしたので、秀俊は驚き、大声をあげて城内に逃げかえった。そこで家来たちは、ふたたび大蛇の出ないように池底の穴を大石でおおったという。 (郡山町史)
● 艶塚地蔵 (大和郡山市)
 元禄の頃、郡山本多藩の老職、松本将監平憲が江戸に勤番していた時、本多家の御用をつとめていた艶という娘があった。将監とはいつのまにか親しい仲となったが、将監が御用をすませて、郡山に帰ることになった。
 将監は艶女に、
「郡山につれていってあげるから、親・兄弟にいとまごいをしてきなさい。」
と告げ、 艶女が故郷に帰っている間に、将監は郡山に帰ってしまった。
 艶女が江戸にかえり、将監の帰った由を聞き、その後を追ったが、関所でとがめられ、ついに湖に身をなげて死んだ。すると見る見るうちに白蛇となり、関所をこえて、浜松の宿で将監に追いつき、首にまきついた。将監は刀できったが、切っても切ってもからみつき、命からがら郡山に逃げ帰った。
 妻にその由をはなすと、妻は尼となり、名を貞勝院月圭元明とあらため、かの女の菩提を弔うことになり、白蛇も将監の身からはなれるようになった。将監は六十五歳でなくなったので、元明は将監と艶女の冥福を祈るために堂をたて、そのかたわらに、白蛇のなきがらを埋め、その上に石地蔵をたてた。後の人々はこの石地蔵を艶塚地蔵と呼ぶようになったという。(郡山町史)
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