三輪の伝説

●三輪明神の発見

 旧織田村の東、茅原山のかたわらにある小さな家から、昔、ひとりの尼が、毎日毎日三輪の方へいっては、水をくんでかえっていた。ひとりの僧がそれを見とがめて、いったい毎日どこまで水をくみにいっているのかと尋ねた。 尼の答えには、三輪山のふもとに、一つの小さなほこらがある。そしてそこから、きれいな水がわいている。尼はその神様を拝みがてら、清水をくんでくるのだと、くわしくその場所を教えた。僧は不思議に思って、教えられた通りのところを尋ねてみると、全く思いがけないところにほこらと泉とがあった。 それで、そのことをあまねく人々にも知らせ、ついに三輪明神とした。これが今の大神神社のもとだという。
  (櫻井恕巳)
●三輪の由来 磯城郡大輪町(旧磯城郡三輪町)
 陶都耳命には、活玉依姫という美しい姫があった。ある夜の真夜中に、世にもまれなりっぱな若い男がきて、姫と夫婦のちぎりを結んだ。間もなく姫は妊娠した。父母は驚いた。「お前はたしかに妊んでいるが、夫がいないのにどうしたのか。」と問うた。 姫は、「名も何も知りませんが、姿のたいへん麗しい男の人が毎晩きて、夜明けになりますと、どこかへ帰って行きます。」と答えた。「今夜その男がきたら、寝床のあたりに赤い土をまいて置き、緒環(おだまき)の絲の端を針にとおして、男の着物のすそに刺しておけ。」と父母は教えた。 姫は教えられた通り、衣のすそを針に刺しておいた。夜が明けてから見ると、室の周囲の赤土には足跡はなく、糸は戸のかぎ穴からぬけ出て、三輪山の神の杜に入り、家には緒環にわずかに三輪だけが残っていた。それからこの地を三輪と呼ぶことになった。(萩原愛孝)
● 緒環塚<おだまきづか> 磯城郡大三輪町(旧磯城郡三輪町)
 大神神社一の鳥居を見て、右折した街道端に、緒環塚がある。昔、緒環姫のもとに、名をいわぬ貴人が通うた。姫は、それがどこの何人とも知れないので、ある夜、糸をつけた針を、その人の裳にさして置いたところが、翌朝、その糸の端は三輪山にいって止まり、あとには三輪だけ残っていた。姫はここに始めて神のみことと知り、残りの糸を土に埋めた。それが緒環塚である。(上田良雄)
●箸墓の由来
 倭迹迹日百襲姫命には、三輪の大物主の神が通うておられたけれど、大物主の神は、夜ばかりお出でになって、昼はお姿をお現わしにならないので、あじけなく思っていた。ある夜、姫は、「大御神さまは、 夜のみお出で遊ばして、昼はお見えにならないので、はっきりお姿を拝むことができません。どうぞ明らかに貴いお姿を拝ませて下さい。」と申した。大物主の神は、「姫の申すことももっともである。 わたしは明朝、姫の櫛笥の中にはいっているから、よく見るがいい。けれども、わたしの姿を見ても、決して声を立ててはならぬぞ。」と、教えられた。夜があけてから、娘が櫛笥のふたをとると、一尺(約30センチ)ばかりの美しい蛇が一匹はいっていた。 姫は余りの意外さに驚き、声を立てて泣いていると、大物主の神は、たちまち美しい男になって、姫にこう仰せられた。「姫はわたしのいうことも聞かず、声を立てて、わたしに恥をかかせた。もう今日限り姫はわたしとあうことはできぬ。」といって、大空を踏んで、三輪山の方へ帰られた。 姫は大物主の神を怒らせた奉ったことを深く後悔して、悲しさにたえず、はしで「みほと」を突いて亡くなられた、箸中の箸墓とは姫の墓である。(吉岡義一)
●蛇の精 磯城郡大三輪町
 三輪山の麓の、あるおとめのもとへ、夜な夜な通う美男があった。おとめは男が住所を教えないので、ある夜そっと、男の小袖に糸を結び付けておいて、翌日糸をたよりにたどって行くと、三輪山の奥まで糸はひかれてあって、よく見ると大きな蛇であった。(小島千夫也)
●三輪山の大蛇 磯城郡大三輪町(旧磯城郡三輪町)
 三輪山には現に九百九十九谷ある。元来は千谷あるのだが、最も大きな一谷を神様が隠しておられるのだという。ここの神様は蛇体だという。山中の古木を切ったりすると、たいへんな罰があたる。 かつて付近の人が、ひそかに山に登って木を切って帰ろうとすると、急に黒雲がわきたって四辺を包み、一匹の蛇がおどり出て、ついにその人の命を取ったといい伝えられる。(梶本三雄)
●また(三輪山) 磯城郡大三輪町
 三輪山には拝殿ばかりで本殿がないが、山を八巻半する大蛇が御神体である。山には千谷あるけれども、九百九十九谷より見つけたものはない。千谷目の谷にその大蛇が住んでいるのだという。(浅埜源太郎)

● 高宮さん 磯城郡大三輪町三輪
 三輪山の上にある高宮神社には神殿がなく、神杉をご神体としている。孝昭天皇のころ、四月の卯の日の夜中に、三輪山の上に日輪のようなものがあって、光を放ち山を照らした。その夜明けに神が天下ってきて、宮女に告げていうには、
「われは
大国主神である。今この国にうつってきたから、山田吉川比古をしてまつれ。」とあった。天王はそのお告げによって、吉川比古に勅して高宮神社い祭らせたという。 (乾健治)

● 夫婦岩 磯城郡大三輪町三輪
 大神神社参道の左側に、夫婦岩といって、二つの大きな石を木さくでかこんである。
 昔、大和にそろって長命をたもった夫婦がいた。そのふたりの古跡がこの二つの岩であると伝えている。 昔から、ここにまいると、夫婦円満や子宝にめぐまれるといわれている。またこの岩は聖天岩とも影向岩<ようごういわ>ともいわれている。 (乾健治)



大神神社の「夫婦岩」
● 衣かけの杉 磯城郡大三輪町三輪(旧磯城郡三輪町三輪)
 大神神社の拝殿から西南に、謡曲三輪で名高い玄賓<げんびん>僧都の衣かけの杉の株が残されている。周囲は二メートルで、三輪山七本杉の一といわれる大木である。 (乾健治)

● 大神神社の本殿 磯城郡大三輪町三輪(旧磯城郡三輪町三輪)
 大神神社は三輪山がご神体で、昔から本殿がない。昔、村人がよって、
「ほかの神社にはみんなりっぱな神殿があるのに、ここだけ本殿がないのはおかしい。何とかして本殿を作ろう。」
というので、本殿を作ることになった。ところが一晩のうちに幾百幾千のからすがやってきて、この本殿を食い破ったり、ふみこぼったりして、その木などを口にくわえて、どこかへ運んでしまったというのである。
「これは全く神のお心だ。」
というので、それからは本殿を作ることはしなくなったという。 (荻原愛孝)

 また、たくさんのからすが出てきて、
「あほう、あほう」
と鳴いて笑った。これはからすが神の使いになって、み心を伝えてくれるのだといって、それから作らなくなったともいう。 (乾健治)

[HOME] [TOP]