● 下出橋の阿弥陀さん 奈良市阪原町(旧添上町大柳生村阪原)
 阪原の下出橋のほとりに仏像をきざんだ自然石がある。
大阪城を築く時、石垣用にこの大石を供出するよう命じられたので、供出を逃れるため仏をきざんだという。下出橋の阿弥陀さんと呼ばれ、眼病をなおす仏として里人たちに信仰されている。 (田畑賢住)
● 槇山千坊 奈良市阪原町(旧添上郡大柳生村阪原)
 阪原の北、笠置に近い所に千坊があったといわれている。南明寺ももとここにあったのを、今のところに移したという。後醍醐天皇が笠置に難をおさけになったおり、この寺の僧たちが天皇方に味方したので、北条軍のために焼き払われたという。(田畑賢住)
● 浅草観音の故郷 奈良市阪原町(旧添上郡大柳生阪原)
 東京浅草の観音さんは一寸五分(五・四センチメートル)の金の像だといわれているが、これはもと阪原の北方、笠置に近い槇山千坊の一つ、観音山にまつってあったものだという。それを盗人が盗み出して隅田川に捨てたとも、百姓が草刈りに行って捨て、古仏屋に売ったともいわれる。像の背面に「和州阪原」と刻まれているともいうが、真偽の程はわからぬ。(大柳生村史による)
● 甚蔵供養の石地蔵 奈良市柳生町(旧添上郡柳生村柳生)
 昔、阪原の庄屋に斎藤甚蔵という人があった。才智にたけた人で、そのころ、世人が夢想もしなかった大井手の工事をなしとげた。柳生藩主はこれを聞いて驚き、生かしておけばどんなたくらみをするかも知れない、というので、無実の設けて死刑に処した。甚蔵は処刑の場で、
 「三年の間に柳生を灰にする。」
といって死んだ。藩主はこれを恐れて、その後、毎夜不寝番をおいて、日夜、警戒をおこたらなかったので、三年間は事無きを得た、ところがある夜、にわかに怪火がおこり、陣屋は一夜のうちに灰となってしまった。藩主は驚いて、陣屋の入口の自然石に甚蔵供養の仏像をきざみ、永くその霊をなぐさめたという。今、柳生小学校の門前にある大石仏がこれであると伝えられている。(田畑賢住)
● 太鼓踊り 奈良市大柳生町(旧添上郡大柳生村大柳生)
 山口神社の森を「こうのもり」と呼ばれている。古くは神功皇后の御陵と伝えられ、毎年八月に行う太鼓踊りは、神功皇后が三韓征伐からがい旋された時、祝いのために踊ったものだという。(田畑賢住)
● 峠の松 奈良市大柳生町(旧添上郡大柳生村大柳生)
 塔坂から大保に通じる間道を山頂に達すると、この道に交叉するあたりに峠の松というのがある。後醍醐天皇が、
    さして行く笠置の山を出でしより
      天が下にはかくれがもなし
と詠まれたところ、お供の人が、
    いかにせんたのむかげとて立寄れば
      尚袖ぬらす松の下露
とご返歌申し上げたのは、この峠の松の所であると伝えられている。
  (大柳生村史による)
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