● 御神体のおきな面 (奈良市奈良坂町)
 昔、京都のお姫様に、ひとりの天刑病者があった。奈良の北山十八間戸に入り、阿閃如来を信仰していた。ある時、京からの使いの者がきて、
「この面をかぶって、お帰り下さい。」
といって、ひとつの面を渡した。お姫様はその面をかぶって北に向かい、奈良坂までいったところが、今まで醜かった顔の肉がスッカリ面についてとれてしまい、あとは、もとのきれいな顔になった。その面が、今の奈良坂の氏神明神の御神体のおきな面なのである。
 (橋本春陵)
● 子供好きの恵比寿神 (奈良市南市町)
 奈良市南市町に恵比寿神社がある。昔、附近の子供たちが境内で遊んで、社を汚すので、庄屋からおきてを出して子供の遊ぶのを禁じ、もし社を汚す者がある時は、米五斗(およそ8,キログラム)をださせることにした。社の辺は、それで静かになった。ところが、にわかに疫病が流行しはじめた。そこで巫女を呼んで神湯・神楽を奏し、神慮をうかがわせてみると、全く子供を封じたのが思し召しにかなわないからとある。さっそく前の禁則を取り消し、子供を自由に境内に入らせることにしたら、疫病もしたがってやんだという。 (山田熊夫)
● 騎馬で助産に出る地蔵尊 (奈良市)
 奈良ホテルの東に、荒池子安の地蔵尊といって、すすぼけた石地蔵が、小堂に安置されて居る。昔、堂守の老婆が、夜中にふと目を覚ますと、お堂の中が何だか騒がしい。聞くと
「今夜は、忙しいのだ。これからお産の手伝いに行かねばならぬ。」
という話声がする。恐る恐る堂内を覗いてみると、地蔵尊が白装束で、白馬に跨って立って居られ、やがて何処かへ出て行かれた。
 翌朝地蔵尊を見ると、全身汗びっしょりとなって居られた。是から、安産を祈るものが段々ふえたが、出産のときには、いつも佛体がぬれるということである。
 (東蕗村)

● 後藤の辻 (奈良市高畑破石)
 高畑の破石<わらいし>の辻は、十文字になっていない。昔、後藤又兵衛が、この辺に住んでいて、三方の敵をふせぐことが出来るようにというので、三つ辻にしたのだという。
(橋本春陵)

● 吉備塚 (奈良市、兵営内)
 奈良市の東南端、鳴かず川の南側、歩兵第三十八連隊の兵営内(※現:奈良教育大学構内)に、吉備塚と称する塚がある。吉備真備の墓地だと云われている。 昔から、さはれば祟りがあると云われ、兵営設置前から、田圃の中で一鍬をも入れず、自然のままで残されて来た。兵営の出来る時も、取り去ろうとして工事に着手すれば、必ず変わった事が起こったので、そのままにしたと云う事である。
 大きな蛇が居るのだと云う人もあり、狐が棲んでいると云う人もあるが、何れにしても不思議な塚である。(宮前庄治郎)
● 阿字万字町の天狗 (奈良市)
 昔、阿字万字《あぜまめ》町に徳田屋という旅館があった。ある時、そこの庭に天狗が降って来た。そこで近所の人がよって、その後その天狗を町内に祭って居たが、明治維新後、それを東大寺境内にあづけた。現在東大寺の辛国<からくに>神社と云うのがそれである。
 この神様は、火難盗難の守護神である。それで、阿字萬字町には、昔から火事や盗難が起こったことがない。たまに盗人が入っても、何も取らずに逃げるにきまって居る。
(宮武正道)
● 「尼が池」のぬし (奈良市中筋町)
 中筋町の、通称米市場と称する所の付近に、尼が池という小さい沼がある。昔は今よりも広く且つ深かった。昔、このほとりに、一軒の尼寺があった。その寺にいた若い尼の一人が、ある武士と不義に陥ったので、その身を恥じて、この池に身をなげた。そして、その身は蛇と化して、この池の主となったと云う。
 今から三四十年前、地続きの宮武氏下男が、その家のヨノミの木から、尼が池のそばにある藤の木に、一匹の大蛇がぶらさがっているのを見て、気が遠くなり、三日間程気絶していた。それで、宮武氏の家で、池畔に石碑をたて、名僧を招いて、護摩をたいて貰ったら、その煙の中に、一匹の大蛇の姿があらわれたが、その後は再びあらわれることがなくなった。
(宮武正道)
● 毎年溺死者ある池 (奈良市京終町)
 奈良市の南端、京終《きょうばて》停車場の西南方に福寺池という縦二丁余、横一丁余の池がある。昔ここは福寺という寺の屋敷であった。寺に雌雄一対の白蛇が棲んでいたが、ある時住職がその一方を殺した。残った蛇は之を怨んで住職を殺した。それで村人達は、寺を壊って用水池にした。蛇はそれでも猶怨みを去らず、毎年一人づつこの池で命を取るという。現に私が高等二年の時(編者曰、昭和の初年頃)同級生の弟が水泳中に死んだ。その前三年目の年には某という酒飲みが死んだ。その以前には毎年死人があったそうである。
(松本喜孝)
● 家康の強運 (奈良市)
 徳川家康が、大阪の陣の時、真田幸村に破られ、這々の態で奈良まで逃げて来た。今の懸社漢国神社の前まで来ると、そこに一軒の桶屋があって、トントンと桶をたゝいていた。それを見た家康の家来は、
「この桶の中に、この人を入れてくれ。」
と頼んだので、桶屋は承知して、家康を桶の中に隠して、知らぬ顔でまた桶をトントンとたゝいていた。一方、幸村は得意の天文を視ると、家康の星があらわれたので、その跡を追って、これまた奈良に入り、漢国神社の前の桶屋の所まで来ると、今まであらわれていた家康の星が、急に消えてしまった。さすがの幸村も、家康の隠れ場所を見出すことが出来ず、家康はあぶない命をたすかることが出来た。
 その桶の中から出た家康は、再び幸村に追われて、しかたなく、春日神社の本殿の中に隠れた。すると、幸村はここがあやしいと云うので、春日さんの境内の祠を、一つ二つ三つと三番目まで槍で突いて見たが、別に異状もなかった。そこで今度は四つ目を突こうとしたところ、見るとそれは本殿であったので、流石の幸村も遠慮して、槍をかついで春日神社を立ち去った。そこで、今度も家康は、九死に一生を得ることが出来た。
 大阪の陣も終わりを告げて、家康が天下を取ったので、彼は以前に危ない命を助けてくれた桶屋に沢山のお礼をし、又春日神社には二萬五千石の社領をさづけた。 (宮武正道)
● 幽霊松と鴻の池 (奈良市)
 奈良市の西北部、法蓮に淡海公という小山がある。聖武天皇の陪塚の一つで、頂に枯れた松の大木が、奇態な格好に立って居て、幽霊松と呼ばれる。山の西北麓に、鴻の池という深い池があって、しばしば溺死人を出す。
 昔、幽霊松の上に一羽の鳩が止まって居た。猟師が見つけてこれを打った。
ところがこれは、ある幽霊が形を変えて居たものだったので、爾来片輪になって、元の形に還れない所から、今に、人に祟ることになった。幽霊松という名も、そこから出て居る。
 若し人が山の付近にいって、幽霊松が風でギイギイと鳴り出す音を聞くと、鴻の池の水面が、スッカリ敷き詰めた青畳になり、池の向いの山には、見事な家が立ち並んで見える。覚えず足を進めると、たちまちズブズブと水に陥ってしまうのだと云う。(井上強三、高田久彦)

 一説には又、松永弾正が織田信長に亡ぼされた時、夫人が鴻の池に身を投げ、大蛇と化して池のヌシになった。それが為、毎年一人か二人の死人が、あの池で出来るのだと云う。
(宮武正道)
● 法華寺の犬守り (奈良市法華寺町)
 奈良市法華寺町にある総国分尼寺の法華寺には、土細工の犬が、安産、疱瘡除、小児夜泣止め等の守りとして授けられる。
 これは昔、奈良朝時代に、悪疫流行した時、ここで天下安穏を祈って、一千日の供養を行われた。その時の護摩の灰を以て、光明皇后みづから犬を作り、守りとして諸人に授けられたことから、始まったものだと云う。(山田熊夫)
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