● 蛇穴<さらぎ>の由来 御所市蛇穴町(旧南葛城郡秋新津村蛇穴)
  役の行者が鴨の神と共に、怪しい女の化身である大蛇を追い払った。大蛇は追付の森からさらに西南の方へ逃げて行き、市部村の西の大きな穴の中へすくみこんだ。行者はこれを野口明神とあがめ、その穴を小石で埋められた。
 この因縁によって、毎年旧五月五日に御所・「さらぎ」の童子らが寄りあって、小石を持って互いに打ち合いする行事になっている。それで市部村を、のちに蛇穴<じゃのあな>村と改め、「さらぎ」村といった。それが今の蛇穴町の名の由来である。市部村といったなごりとして、ここにある池を市部池といっている。
 (吉村定治郎・瀬川敏夫)
● 汁掛祭の由来 (南葛城郡秋津村蛇穴)
 葛城山下、御所町の南郊に、蛇穴<さらぎ>と云う不思議な名の村がある。此の村の野口神社では、毎年陰暦五月五日の祭典の後、『汁掛』『蛇綱曳』の奇妙な行事を行ってゐる。この日は朝から座本の家に、村中の人が集まって、三斗三枡三合の豆味噌を摺り、汁をこしらへて、村人も飲み、当日の参詣人や道を行き交ふ人々にぶっかける。これは邪気を拂ひ諸々の病を除くと云ふ事で、態々近在から参詣する人が相当にある。その汁掛が終ると藁でつくった蛇綱を、善男善女が村中曳き廻って後、野口神社に納め、社前の大老樹にまきつけて行事が終るのである。
 その起源について、野口家の伝うる所によると、同家の祖で神倭伊波禮毘古命の御子、日子八井命の後裔、茨田の長者が、河内の国から、この蛇穴の地に来て住んでゐた。その長者に一人の娘があった。
 その頃、茅原郷から葛城山に、雨の日も風の日も、欠かさず修行勉強に通う役の行者とて、画貎魁偉で額に小角のある人があった。長者の門前を通るのが常であったので、何時しか長者の娘の恋の的になったが、行者は応じなかったので、娘は遂に女の一念よりして蛇身に化した。

 時あだかも旧五月五日の田植時で、村人が野良への弁当を持って通りかかると、大きな蛇が日を吹いてゐる。びっくりして、持ってゐた味噌汁を、蛇にぶっかけて遁げかへった。 それから大勢誘ひ合せて、来て見ると、今まで恐ろしく火をふいてゐた蛇が、傍の井戸の中に、おとなしく入ってゐる。村人は之は幸だと巨石を以て井戸を蓋うた。その後、その娘の供養にと、野口神社の祭典に、汁掛祭と、蛇綱曳の行事をなし、その人の霊を慰めるのだと云う事になってゐる。 (杉村俊夫)



野口神社「汁掛祭」の引き綱
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