● 奥田蓮池の一つ眼蛙 大和高田市奥田町(旧高市郡天満村奥田)
 役行者の母、刀良売<とらめ>は奥田の蓮池の堤で病を養っていた。
 夏のある朝、刀良売が池中の捨篠<すてしの>神社に詣でると、遠く蛙の音が聞こえ、光り輝いて池の蓮の茎が伸び、二つの白蓮が咲いた。
そこには金色の蛙が唄っていたのである。刀良売はかやを一本ぬきとって蛙に投げたが、蛙は片眼を射抜かれて水中深くもぐった。その瞬間地面をいろどった五色の露も、一茎二華の白蓮も消えて、蛙はみにくい褐色に変わり、一つ眼になって浮かび上がってきた。刀良売は自責に堪えず、ついに重態に陥り、四十二歳で他界した。
 母を失った役行者は、発心して修験道を開き、吉野深山に入峯後も、吉野蔵王権現を崇め、蛙の追善供養を行って、母の菩提を弔うたという。 (大和高田市史)

奥田の蓮池
毎年七月七日には、吉野の山伏が奥田に来て、行者堂と刀良売塚に香華を献じ、蓮池の蓮108本を切りとって、吉野山から大峰山までの沿道の祠堂に献じ、蛙祭りの供養としている。奥田蓮池の蛙の眼は、それから一つであるという。
以下は、奥田蓮池公園の案内板より転載。
 昭和20年(1945年)の終戦前後の混乱で、奥田はす池の蓮は全滅してしまいましたが、平成7年(1995年)から、奥田の人々と大和高田市が協力して、この池に蓮を植え付け、丹精し、名実ともに奥田はす池がよみがえりました。

奥田の蓮取り行事
「奥田のはす池と蓮取り舟」
奥田では毎年7月7日に、はす池(弁天池)にて、吉野山金峯山寺蔵王堂に献花する蓮華を取る風習があります。
 吉野山の社家、前坊氏の日記(江戸時代)に、「奥田村はす池は、大昔から吉野山蔵王権現の由緒があり、毎年6月9日(旧暦)奥田はす池の蓮華を取り、蔵王権現と吉野山山内の諸神に献備し、蓮華会という法要を勤めている。」と記され、古くから行われていました。

 また、平成9年(1997年)吉野山金峯山寺と大和高田市の支援を得て、奥田の人々の力で明治初期以来とだえていた蓮取り舟を造りました。
隣の弁天神社(厳島神社)にある絵馬のように、蓮取り舟でこの池の蓮華を採取することができるようになったのです。
 なお、古い蓮取り舟は、吉野山蔵王堂に奥田村から奉納されて、今も大切に保存されています。

 大和高田市指定 無形民俗文化財(平成十年三月三十日)
 奈良県指定   無形民俗文化財(平成十六年三月三十一日)

大和高田市教育委員会


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