「荒神ヶ嶽のお辰の墓」とは、立里荒神社の駐車場を出て右折、雲之上温泉の方へ500mくらい行ったところにある。
 道端の右手にひっそりと祀られており、「御辰大龍神」の小さな石碑が建っている。
 お辰さんのお墓の左隣には、「青海上人 心海上人」が祀られている。




今も花折る人のあるお辰さんの墓
● 荒神ヶ嶽のお辰の墓 吉野郡野迫川村
 高野山より東南三里、野迫川村の立里荒神の峯頂、社殿の裏に、お辰の墓といふのがある。
 今から百二三十年前に、お辰といふ炭焼の娘がゐた。一時の迷ひで、妙庵といふ附近の淵のヌシの子を産み、すぐ死んだ。其遺言に、人の眼には付きやすくて、多くの人の踏まれない道端に埋めてくれと云ったので、此處に墓が作られた。立里の荒神は、高野の奥の院と呼ばれる名所で、参詣者は常に絶えない。俚謡にも、

 いたら見て来い荒神裏の
   お辰の墓から霧がたつ

  (太田清治)


● お辰の墓(立里)
 昔、お辰という美人が立里の荒神さんの東、タイ谷に炭焼き娘として住んでいた。すると高野山の若い僧が、それを見染めて毎晩のように通った。厳重な戸じまりをしておいてもだめであった、何の音も立てずに入ってきた。お辰はとうとう母親に、毎夜ごと若い僧がくることを話した。母親は、その男のえりに針をさしておけと教えた。娘のお辰は、その通りにした。
 明くる朝、みると糸は障子のすき間から外に出ていた。それをつけてゆくと川の淵で大蛇が傷ついてうなっていた。それによって若い僧は高野山の人ではなく大蛇の精とわかった。
 お辰は、それから身ごもって蛇の子を生んだ。そして病んで死んだ。その時にお辰は遺言に「死んだら三里四方(12キロ)見える見晴らしのよいところに葬ってほしい」と頼んだ。
それで立里から荒神へまいる途中の道端に二つの石を重ねて「お辰の墓」をつくった。

 いたら見て来い荒神裏の
    お辰の墓から霧がたつ


● 妙谷(たいたに)(立里)
 妙谷(たいたに)というところに大きな滝がある。妙谷の滝という。
昔、ここに平家の落人という杓子屋(しゃくしや)が住んでいた。毎日杓子(この村ではシャモジという)を作っていた。
 また近くの山小屋にお辰という娘が住んでいた。この山小屋へ毎夜、若者が遊びに来た。娘は、ふしぎに思い、若者の着物へ糸をつけて帰した。明日、糸の行方をみると谷をへだてた滝に入っていた。まもなく娘は身ごもった。生んだ子は人間の赤子ではなく蛇の子でタラヒに七はい生んだ。七峠の見えるところへ埋めてくれといって母子とも死んだ。そこで荒神さんから立里へゆくところの七峠の見えるところへ埋めて墓を作った。
 立里の中岡卯之吉さんという人が高野山からの帰途にこの葬式に出会った。死骸を入れた長持が余りにも立派であったので驚いているのに「これは普通の人ではない。平家の落人の家筋だろう」と思った。
 ところが、このお辰墓も時代の変遷で道路拡張のために墓を奥の方へ移すために掘った。
その時、足のスネの骨が出た。女にしては余程背の高い人だと思われた。動物の骨でなく正しく人間の骨であった。蛇の子というのは、今いう月足らずのブドウ子のことで流産したのではないかという。


● また
 炭焼の娘にべっぴんさんがいた。そこへ妙谷(たいたに)の滝の主(ぬし)が僧侶に化けて毎晩通った。娘は僧侶の衣に糸をつけておいた。すると滝の中へ入っていいた。
 遂に娘ははらんだ。生んだ子はブドウ子という形のものでタラヒに三ばいとも七はいともいう。娘は自殺した。死ぬときに「七尾七迫(さこ)の見える見晴らしのよいところへ生けて(葬ること)くれといった。荒神さんから立里へゆくところへ葬った。荒神社へ参詣する人がよく立ち寄るのである。


● お辰墓の由来
 立里の荒神から立里の村里に通ずる道を、七八丁いくと道端に「おたつばか」というのがある。一尺五寸許りの石に、七八寸の石を重ねただけの簡単なものであるが、言い伝えがあって名高い。お辰という美人の墓というのである。
 お辰は荒神の東方の、タイ谷に住んで居た。高野の若い僧がそれを見初めて、毎晩通うて来た。いくら戸締まりをしても防ぎにならず、何の音もさせずに入って来る。お辰は困って、母親に相談した。ばけ物か盗人か、今晩は針に糸をつけて、其襟にさしておけと教えられた。
 娘は其教えに従って、針をさした。男はそれきり来なくなった。あとでみると、糸は障子の隙からソトに出ている、それをつけていって見ると、谷の淵で大蛇が傷ついてウナって居た。それで若い僧とは蛇の精と分った。
 お辰は身重になったが、遂に「かえるこ」をタライに三ばい産んで死んだ。カエルコとは、泡の形になった蛙の卵である。お辰は遺言して、死んだら三里四方見える所に葬ってくれ、と頼んでいった。それで今の「お辰墓」が出来たと云う。
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 お辰はタイ谷のタイタニ滝の下に住んでいた。木地屋の娘である。滝は今のお辰墓の所から、五十丁許り降った底にある。お辰は珍しい美人であったが、血統は人並に及ばなかった。そして或る血統のよい人が、それに親しんだ。
 或時立里から荒野へ、米を買いにいった人が、帰りに今のお辰墓の所まで出ると、人が沢山寄っている。人が死んだのだと云う。聞くとそれが名高いお辰で、難産でカエルコような物を産んで死んだ。どうぞ「くになか」の見える所に埋めてくれ、と遺言したから、いま此処に埋めて居るところだ、見てやってくれと云う。死骸は特に大きな箱に納め、内に蒲団を一ぱい敷きこんであったと云う。クニナカとは、北方の大和平野のことである。
 もとは道から適当に離れていたものらしいが、其後道路が墓石のキワまで取拡げげられた為、少し通行人の足もとに近過ぎる形になっている。お辰は又、なるべく道ばたに近く墓を立ててくれ、さすれば ※「花折ってくれる人」もあろう、と遺言したそうだと云う。 高田十郎著「随筆山村記」


※「花折る」とは、任意に草木を折取って、神仏に供えること。方言。
荒神嶽から北へ池津川の村に下る途中、谷を隔てた西にサンジョウサン(山上山)という小峰があって、天狗がすんでいると云われる。此の路傍に、ハナタテという所がある。通行人は何なりとも枝を折って、それに挿して祭っていく。
「花タテると、足、かるなる(軽くなる)」と云う。


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