● 衣通姫の産湯の井
 磯城郡城島村忍阪
 忍阪《おっさか》の玉津島神社の傍に産湯の井といふのがある。今も里人は、女子を産んだ時には、この水を汲んで産湯の料としてゐる。(荻原愛孝)


● 僧慶圓と龍の玉 磯城郡城村粟殿
 今から六百年程前の事である。三輪山の麓に、信心深い慶圓といふ坊さんが住んでゐた。慶圓は室生で勉強し、弘法大師の生れがはりだといはれた程偉い人だった。
 ある日、久米仙人が女人を見て空から墜落したといふ川のほとりを通りかゝられた。日は暮れかゝってゐたが、そこには又きれいな女の人がゐた。
 『あなたは、今頃こんな所で、何をしてゐるのですか。』
と尋ねると、女はこちらを向いた。それは龍が女に化けてゐるのであった。慶圓にはそれがよく分った。見やぶられた龍女は、
 『私は天に登りたいが、佛の教を知らないので、登れないのです。それで、あなたに佛の教を聞かうかと思って待ってゐました。』
といった。そこで、慶圓は、佛の教を詳しく説いてやった。女は大そう喜んで、お禮をいった。そして、お禮のしるしにといって、美しい寶の玉を渡し、やがて龍の姿を現して天に登った。
 龍を教化した慶圓は、龍の玉をもらって、三輪山麓の平等寺に歸った。そして、附近の人から父母の如く慕はれてゐた。臨終の時には、三輪の極楽寺の松の上に、五色の雲がかゝり、不思議な音楽がきこえ、二十五菩薩の来迎があった。墓には、今も龍からもらった龍の玉が入れてあると云ふ。 (白馬教宣)
● 神々を村端に祭る由来 磯城郡城島村粟殿
 粟殿《おうどの》では、氏神その他の神々は、皆村外れに祀られている。其わけは、昔、氏神は村の中央にあったが、旱魃で水の欲しい時など、村中の者がコモリをするのに、人々の寄るのに雑作のない便利な所に氏神があっては、神様が水を遣るのは馬鹿げてゐるので、十分に水を下さらぬ。それで、集合に骨の折れるやう、村外れに移したのだと云ふ。
 コモリとは、村中總出で、たとへ一戸一人づゝでも氏神に集り、酒肴を持参して夜を更かす行事である。六月の収穫の終った時と、田植が済んで田に蛙の鳴初める時との二回を恒例とし、其他村内に吉凶の續いた時など臨時の催しもあって、時としては年に四、五回に及ぶようなこともある。 (北西一司)
● 極楽寺の釣鐘 磯城郡城島村粟殿
 粟殿《おうどの》の端、三輪との間にある極楽寺の鐘は、昔は鎧で作られ、大きくはあったけれどもゴーと凄く響くだけで、撞いて鳴らず、鳴っても遠くひゞかないで、直ぐ消えた。村人達は皆物足りなく思った。其頃、村一等の金持某といふ者があって、倉に積んであった黄金全部を出して、それを混じて鐘の鑄替へをして貰はうと申出た。それで今の鐘が出来てよく冴えて遠くひゞき渡る音を出すことになったと云ふ。(東好一)
● 西阿の妄念 磯城郡城島村戒重
 毎年舊七月十三日、(或は三日)お盆の晩になると、近郷の村には、皆早くから戸を閉めて休むことにしてゐる。其の夜は、極楽寺の墓地にある西阿の墓から火の玉があがって、戒重の城の方へ向ひ、戒重の城からも火の玉が現はれて城を守り、二つの火の玉が盛に戦ひ、又家来の火の玉も南方から出て争ふからである。
 これは、彼の南朝の忠臣西阿が戒重城によって、敵を悩ましてゐたが、七月三日の夜、敗れて戦死した。その妄念による火だといはれてゐる。 (白馬教宣)
● 櫻の井 磯城郡櫻井町谷 
 履中天皇は、帝の三年冬十一月に、船を埴安《はにやす》池に浮べて、遊宴せられてゐた。すると天皇の御盞に、ひらひらと時ならぬ櫻の花が落ちて来た。天皇は不思議に思召されて、長眞膽連《ながまいのむらじ》を召されて、
 『この花は、何處に咲いてゐるのか。一つ探って見よ。』
と仰せられた。連は、かしこまって花を尋ねた所、掖上《わきがみ》の室山に咲いてゐた。
 其の後、履中天皇は、こゝに行幸された。その時この地に、大そうきれいな井水を御覧あらせられたのが、今の櫻井町の名の起りなる櫻の井。(萩原愛孝)
● 鬼がらの木 磯城郡櫻井町
 曽我の街道を東へ行くと、櫻井があって其處から東南に當って鳥見山がある。此の山の麓を東へ尚行けば、今学校のある所に出る。昔、其處に大きな森があって、杉の木の周園五米からの者もあった。其頃、毎夜此處に、青い火がとぼった。附近の人々は、此の火を見ると、皆恐れて、戸を堅く絞めて居た。夜半十二時頃になると、村の中に居る牛が皆鳴き始める。翌朝恐る恐る人々が食物を興へに行くと、牛は、見えなくなって居る。そして骨になって、森の大木に懸ってゐたものだと云ふ。鬼がらの森と云ふと泣く兒もだまる程で、大人さへも身ぶるひすると云ふことである。(崎山卯左衛門)
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