● 死畠 磯城郡柳本町柳本
 昔、山邉郡の沿道に、字『べべのき』といふ村があった。柳本邸の宅地址と称し、大正の初頃まで、『べべの木』が一本残って居た。其南側の桑畑を死畠といふ。柳本氏の宅地址だったが、其後誰か住むと、皆死に絶えた。或勇者が、進んでそこに住んだが、矢張追々と死に始めた。これは寺になりとも上げて、回向して貰へばと云ふので、専行院に寄進した。その『べべのき』にからまる草は、子供も一本も取らない。若し取れば腹痛が起こるといふ。(平田知博)
● 板でない板橋 磯城郡柳本町
 柳本町の新町・中之町の間にある川を板橋川といひ、其橋を板橋といふが、板造りではない。昔、足利義満が、北山金閣寺の天井を一枚張にしようとして、大木を諸国に求めた時、柳本領主が、領内の敷島村大字赤尾から伐出した楠木は、大層大きく重くて、ここに架かっていた当時の橋では、通せなかった故に、其楠木の余材で、広い丈夫な橋に造り替へて渡した。それで、橋は其蹟かはっても、いつまでも板橋といひ、川を板橋川と呼ぶのだと云ふ。 (平田知博)
● 金縛りに遭った賊 磯城郡柳本町上長岡
 釜ノ口の長岳寺に、愛染堂址がある。堂は明治維新頃には猶あって、愛染明王が安置されていた。或日、泥棒が来て、此堂に火をつけ、本尊を盗みとり、東の龍王山を越えて、伊賀の方へ遁げて行こうとした。それと知った住職某は、大に怒り、不動明王を念じ、金縛りの衛をつかうと、流石の泥棒も足が進まず、山道が分からなくなって、又をめをめと長岳寺に舞い戻ってきた。それで、堂は焼けたけれども、愛染明王像だけは、無事に寺に還ったと云う。 (仲川明)
● 十市城の水攻 磯城郡柳本町
 柳本町の東方約半里、龍王山の頂に十市遠忠の城があった。昔、敵が此城を攻め落とそうとして、山邉郡長柄の白鳥神社に陣をとり、力では取りにくいので水道を断とうとした。併し、城方では水源の守りを猿にさして置いた。其猿は中々其処を敵に譲らないので、敵は決心して山の西麓『釜の口』まで下り、最後の交戦をした。其時足裏に血がついた其足跡が今も残っている。(笠松保)
● ホイホイ火 磯城郡柳本町柳本
 釜の口の上、龍王山に十市城がある。十市遠忠が天正年間松永弾正に攻められ憤死した所である。其怨恨が今も残って、雨の今にもふりそうな夏の晩、この城址に向かって、『ホイホイホイ』と二度三度叫ぶと、城址の方から、火の玉が物凄く飛んで来て、ジャンジャンとうなりを立てて消え失せる。これを見たものは、二三日熱にうかされると云う。村人達は、この火をホイホイ火といって、大変恐ろしがっている。 (武田降巌)
● 又 磯城郡纒向村
 同じ物を、纒向村辺りで言うには、山上には、今も遠忠の怨みが残って、時々、火の玉となって山頂に現れる。若し其れに向かって『オーイ』と呼びかけると、ジャンジャンジャンと音を立て、段々火の玉は大きくなりながら、追いかけて来て、呼んだ者を皆殺してしまう。之をホイホイ火と名づける。
 或時、一人の武士が其火を退治にいったが、兜に咬み付かれて死んだ。又、或相撲取りも退治にいって、からだ一面、蜘蛛の糸ようの物に巻かれて死んだ。猶、誰に限らず、彼の城址に登る者は、必ず何か落とし物をして来るという。
  (小島千夫也)
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