● 三十三間堂の棟木の出た所 添上郡大柳生村大柳生
 大柳生村大柳生、県社山口神社のすぐ北、田んぼの真ん中に、饅頭型の、こんもりした森がある。柳の森といわれ、ここに斧を入れる者は一人もいない。
 昔、京都三十三間堂の建築があって、彼の長い棟木を、一本の柳で造ろうということになり、諸国にその木を求められた時、この森に、天を衝く柳の木があって、その選に当たった。それで、この森が柳の森と呼ばれ、又、大きな柳の生えた土地だから、大柳生村という地名が出たという。(島田喜夫)


● くさがみ池 添上郡大柳生村坂原
 坂原の南、月の瀬街道から二丁程離れた所に、クサガミ池というのがある。この池の水を子供のクサにつけると、奇妙になおるとあって、村人の信仰厚く、大抵の母親は、二度なり三度なりこの池に願をかけて居る。
 昔、クサが激しく流行したことがあって、沢山の患者が、ここに集めて隔離された。患者達は、大へんに泣き悲しみ合って居た。そこへ白衣の神が現れて、だまってこの池を指しておいて、又消えていった。これはこの池に何かわけがあると云う事だろうと、患者達は試みにこの水をクサにつけて見ると、見る見るうちになおった。これが今の信仰の始まりだと云う。(島田喜夫)


● 大柳生村の元春日 添上郡大柳生村大柳生
 大柳生村に元春日と呼ばれる郷社がある。昔、奈良の春日の神様が常陸の鹿島から還って来られた時、この地のスミドノという所に先ず一泊し、翌日西に向かって進まれると、あまり大きくもないが好い森があったので、一旦永久の住居にしようとされた。それが元春日である。併し、どうも未だ山が浅いので、又西に離れて行かれ、一丁ばかりで一休みし、
 『ア〜、シンド。』(疲れた。)
と言われた。それで今もこの所に『神道(今は新道)』という家があり、その傍らには、鹿の足跡と馬の足跡の残った石がある。こうして神様は遂に今の奈良の春日山に落ちつかれた。
 その縁故で、大柳生からは、毎年春日神社にお供え餅を献上する例になっていた。或る年奈良の人々は、遠い柳生から態々持って来ずとも、近くで造ろうと云って、糯米を蒸し始めたが、一日蒸しても二日蒸しても蒸さらない。大いに困って大柳生の人を呼寄せると、その人の足が一歩敷居を入ったかと思うと、チャンと蒸しだされたという。(廣昌夫)


● 牛若丸安産の所 添上郡大柳生村大柳生
 白砂川が大柳生村の村外れに差し掛かる所に、タラヒが淵というのがある。その傍らの木の茂った下に、平たい石がある。
 昔、常磐御前が、二人の幼児の手を引きながら、この辺に逃げて来ると、急に産気づいたが、何所の家も落人には相手に乗ってくれない。仕方なしに村外れのこの平たい石の上まで来て、休んでいると男の子が産まれた。それが牛若丸である。常磐は、みづからその子を傍らの淵につれていって、水で初湯をつかわせた。タラヒが淵とはその時から始まった名である。
 その平たい石は、今も打つと赤子の声がすると言われ、村人はその石を拝んで安産を祈っている。昔、不人情に追い出した人の安産の跡を。(森下正義)


● よめとりがみ 添上郡東山村
 東山村の的野と松尾との境界に、一つの谷がある。昔、或る嫁入りの時、一行がその所を通って居ると、不意に嫁がものに取られて、居なくなった。それから、その所をヨメトリガミという。今は稲荷大明神が祀ってある。(東川虎之進)


● 天狗の足跡と腰掛石 添上郡田原村
 昔、添上郡田原村に。天狗がすんで居た。或る時、柳生藩の武士が、これを退治しようとして追いかけたところ、天狗は逃げ場を失って、屏風岩岩をよじ登った。そして、途中でくたびれて、ドッカリと岩に腰をおろした。それで、今も屏風岩には、天狗の足跡と腰掛けが残っている。(小島千夫也)


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