● 帯解子安地蔵の由来 (添上郡帯解町東今市)
 東今市の帯解寺には、国宝地蔵尊が本尊となり、子安地蔵と呼ばれて、毎年七月二十三、二十四日の祭りには、遠近の婦人が沢山参る。
 昔、染殿皇后が御懐胎で、月は満ちているのに、何故か分娩にならない。或夜皇后の御夢に、奈良から南方一里の或寺に地蔵さんがある。今そのからだに帯を巻き付け、それを皇后の御からだに結んで、更にそれを解いたならば、御安産になるという事を見られた。
 翌日、皇后が其の事を天皇に御話になる。それは本当かも知れぬと云って、臣下を使わされると、果たして地蔵がある。夢の通りにして帯をタバって帰り献上する。皇后がそれをお腹帯になされ、それから又解かれると、間もなく皇子が安らかにお生まれになった。天皇も皇后も非常に喜ばれ、子安地蔵という名を賜ったのが今の帯解寺の本尊である。ヲビトケという名も、此の腹帯が解かれた所から付いたので、寺の名から更に土地の名にもなったのであるという。(原田藤吉)
● 龍象寺の由来 (添上郡帯解町今市)
 昔、西今市の池に、一頭の龍が棲んで居た。時々池から出て村人を取って喰った。村人達は、龍を退治る事にして、池の堤に大きな篝火を燃して、大騒ぎをしたが、一向龍は姿を見せない。そこへ一人の旅の武士が通りかかり、
 『俺が退治てやらう。』
と云って、池の真ん中へ矢を射込んだ。するとたちまち天地晦冥、雷電すさまじい大暴風雨となって、一頭の龍が池の中から踊り出して来た。武士は弓を捨てて、剣を抜いて龍に切りかかった。龍は武士を掴んで空へ上ってしまった。
 少時すると、ビカッと雷光がして、真っ赤な雨が降って来た。つづいて大きな音響がしたかと思うと、ズタズタに切られた龍の死体が落ちて来た。併し武士の姿もつひに見えなかった。それで、龍の死骸を其の落ちて来た所に埋めて、一寺を建立した。それが龍象寺である。
 退治した武士は、春日明神の化身であって、特に村人を助けてくださった者でああった。(上野恭雲)
● 水を飲む画龍 (添上郡帯解町南町)
 帯解町の古刹奥之院を、百拙和尚が再興した時、本道の天井に、狩野春甫が龍を畫いた。
 其の後、百拙和尚が、ヒョッと天井を見上げると、龍のひげが水でぬれている。翌日又見上げると、やはりぬれている。不思議に思って、それから毎日見ると、同じくぬれている。
 そこで和尚は、一夜ひそかに本堂にしのんで見てみると、龍は、夜の十二時頃になって本堂をぬけ出し、付近にある廣大寺池に行って、堤の上から首をつき出して、池の水をガブガブ飲んで、又帰って来た。其の後も、毎夜その通りであった。そこで和尚は考えて、畫の間に龍の眼に釘を打ち、うろこを三枚墨で塗りつぶしておくと、もう龍は動かなくなった。天井の龍は今日もある。(上野恭雲)
● 櫟の大木 (添上郡櫟ノ本町)
 櫟ノ本《いちのもと》町は東にあり、西一軒ばかり離れて、治道村大字櫟枝《いちえだ》がある。昔、今の櫟ノ本にイチ井の大木が生えて、其の枝が櫟枝まで延びて居た。それで櫟ノ本と櫟枝との地名が出来たという。(中西忠順)

 又一説には、櫟ノ本の大木は、其の陰が遠く西山の麓あたりまで差し、其の一の枝が櫟枝まで延びて居た。それで二つの地名が出来たという。西山とは大和西境の生駒山脈のことである。(仲川明)
● 山上参りの祓ひ場 (添上郡櫟本町森本)
 森本の氏神は、天ノ児屋根ノ尊である。昔、尊は鹿に乗って此の村に来られ、村中を流れる菩提山《ぼだいせん》川のほとり、今のハラヒ堂の所で鹿から下り、堂の傍の藪で、着物をぬぎ、川で水にかかって身を清められたと云う。今も此の藪にはシメ縄が張られている。川の中には、沢山の石が置並べてある。そして、彼の山上登山をする者は、此の村は勿論のこと、他の村々からも此処に来て身の清めをすることになっている。(清水勝)
● 業平の遺蹟 (添上郡櫟本町、山辺郡丹波市町)
 昔、河内姫が初瀬寺に参る途中、添上郡櫟本町の在原寺に水を飲みに寄り、水を汲んでくれた業平と恋仲になった。其の後、業平が河内姫に逢いにいって、ソッと其の家を覗くと、内は丁度食事中で、姫は父の給仕をしながら、一塊り畳の上に落ちた飯粒を、直に拾って口に入れた。
 業平は、是に愛想をつかして、家には入らないで逃げて帰った。これを知った河内姫は直に男の後を追った。業平は在原寺の柿の木にのぼって身を隠した。その影が丁度木の下の井戸に映って居た。姫は井戸の中を覗いて、男が身投げした者と早合点し、後を追うつもりで、其の身も井戸に躍り込んで死んだ。今、添上郡櫟ノ本町・在原神社の境内にある業平の井は其の蹟だという。
 又、櫟ノ本町の東南方、山辺郡丹波市町大字別所の小字ナリヒラには、業平溝があり、また井筒井というのもある。是が河内姫の身を投げた所だとも云う。又同所に、業平道、烏帽子すて塚などいう所もある。
 又、丹波市町田部《たべ》にクラガリという所がある。業平が河内から逃げて、ここまで来ると、突然くらがりになったので、うまく身を隠すことが出来たから、付いた名だという。(乾健治)
● 園生の松 (添上郡月瀬村尾山)
 はだかの神様には園生という「きさき」の伝説があるが、一説には園生《そのう》という女御であったという。桜峠には園生の森があって、二本松があり、これを園生の松といっている。また、姫若の塚は田山と長引の中間にある。
 (名勝月ヶ瀬による)
● 藤助地蔵 (添上郡月瀬村石打)
 石打の部落から西方一キロに小字堂山というところがあり、二体の石仏がある。その一つは不動明王で、一つは藤助地蔵という。その藤助地蔵には、つぎのような話がある。
 永享年間のこと、石打村の寺脇に藤助という人があって、狩猟が好きであった。ある朝、鳥屋の中でえものを待っていると、ドーンと不思議な音がした。飛び出して見たが何も見えない。連れていた猟犬もとび出したが、犬には何か見えるのか、おびえふるうている。
 藤助は恐怖のあまり、腰にした最後の丸を発砲した。がそのまま、その場でうち倒れてしまった。それを見た犬が藤助を鳥屋の中へ引きずりこんで、主人の最後を見守った。
 鳥屋は見る見るうちに火縄の火が燃え移って黒こげとなり、藤助は黒仏となったという。村人は藤助の非業の死をあわれみ、その冥福を祈って地蔵尊を祭ったといい、毎年旧八月六日は藤助会式といって、石打ではここへお詣りする。
 (名勝月ヶ瀬による)
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