● モーコンの森 高市郡高市村上
 多武ノ峰<とうのみね>の西麓、上村、字茂古林に、巨樹森々たる気都和既<けつわき>神社がある。モーコンの森、モーコンの社という。
 昔、鎌足が入鹿を討った時、入鹿の首が飛んで鎌足を追った。鎌足は多武ノ峰さして逃げ登り、辿り着いたのが、この森であった。鎌足はここまで来れば、もう大丈夫、入鹿の首も『もう来ぬ』と社頭の石に腰をおろした。それでモーコンの森の名が出来た。
 入鹿の首は、遙か東南、伊勢境の高見山の方へ飛んでいったという。
 鎌足の腰架石は、今もモーコンの社前に残っている。
 一説には、ここは、入鹿誅伐の談義をねった所だともいう。
  (島本正義・山田熊夫)



気都和既神社
● クツナ石 高市郡高市坂田
 高市郡高市村大字坂田から七、八町東南の谷あいに、クツナイシ(蛇石)という石がある。高さ四、五尺、幅二尺ばかり、お天気が長く続くと、その石の割れ目から、黄色い蛇が姿を現すので、この名がついた。旱天の時には、付近の百姓達は、雨乞の為にここに集って、お経を読むと、蛇が現れて雨を降らすそうである。
 ある時、山行きさんが、山から木を運ぶのに、この石が邪魔になるので、石屋さんに頼んで、割らせることにした。石屋は、三度程石にのみを入れて、カチンカチンとやると、にわかに中から真紅の血がにじみ出してきた。石屋は驚いて夢中に飛んで帰り、そのまま頭があがらず三日目に死んでしまった。
 今から四、五年前に村人は社を建てて、この不思議なクツナ石を祭ることにした。今は七社弁財天と呼んでいる。(辻本久寿夫)
● 龍蓋池 高市郡高市村岡
 岡寺の境内に、龍蓋池というのがある。昔、義淵僧正が、そこに棲んでいた大蛇を退治した所だという。旱魃の時、この池の中央にある石を動かせば、雨が降ると今も云はれて居る。(山田熊夫)
● お亀石 高市郡高市村川原
 昔、大和の国中が湖水であった頃、湖の対岸当麻と川原との間に、喧嘩が起こった。当麻の主は蛇、川原の主は鯰<なまず>であった。ところが、この喧嘩は、遂に川原の敗北となり、とうとう、湖の水を当麻の方へ取られてしまった。ために湖底は平地とかわり、湖に棲んでいた無数の亀は、みんな死滅してしまった。

お亀石
 何年か経って、村人は、この死滅したあわれな亀の霊をなぐさめるため、亀の形の供養碑を、もとの対岸に建設した。川原字天野にあるお亀石がそれである。
 今は、お亀石は未申向であるが、もし西向になって当麻をにらむ時には、一度平地となった大和盆地が、又泥海となるといわれる。(島本正義)
● 一升坂 高市郡高取町
 山上の高取城址への登り路に、一升坂という急坂がある。
 昔、高取城を築く時、石垣の石材は、多く西北方の、今の畝傍町鳥屋、益田ケ池の辺から取った。ところが、その人夫達が、今の一升坂までは登っていったが、あまり険しいので、それから上へは登ることが出来ず、難儀をしていた。奉行が、
 『それでは、日に米一升づつ増すから、元気を出せ。』
と云ったので、ようやく、大石も山上まで上った、それ以来、一升坂という名がついたと云う。(辻本久寿夫)
● 高取の狐塚 高市郡高取町
 高市郡高取町に、狐塚と言う塚が二つある。一は奥手<おくんで>の狐塚、一は向手<むかいで>の狐塚である。向手の塚は、今も塚らしい形を残し、奥手の塚は形はなく、只位置が知られる丈である。奧手の狐塚には、立派な軸物が埋められて居り、向手の方には金銀財宝が沢山埋められて居るが、何れも掘れば祟りがあると伝えられて、昔から誰も触れたものがない。
 又向手の狐が鳴けば、村に子が生れたり、娘さんが嫁入したりするし、奥手の狐が鳴けば、人が死ぬと云はれている。(辻本久寿夫)
● 清九郎の竹杖の藪 高市郡船倉村丹生谷
 昔、吉野郡大淀町鉾立《ほこたて》に、『鉾立の清九郎』と呼ばれて、真宗の大信者があった。頻りに物を京の本山に寄附して、とうとう財産を無くしてしまったが、尚寺参りは忘れなかった。
 或日、今の高市郡船倉村丹生谷《にうだに》まで来たが、あまりのひもじさに、持っていた竹杖を、道の傍につきさし、其場に坐ったまゝ死んでいった。
 不思議なことには、其つきさして置いた竹杖が、其後、芽をふき枝を出して、一本の竹となった。そして、其枝は、皆下向に出ていた。今、丹生谷の崑崙山因光寺境内には、此竹が一村の藪になり、皆下向きの枝をさして茂っている。
  (今田幸彦)
● ことこと地蔵 高市郡船倉村松山
 松山に、コトコト地蔵といふのがある。昔、この地は断首場で、夜な夜な亡霊が出て、人々が此処を通ると、ことことといやな音をさせた。それで、村民達は相談して、亡霊を弔うために、地蔵を建てたのが是れである。
 この地蔵の事を縁起地蔵といって、若嫁の通るときは、地蔵を縄で縛ることになっている。(山田熊夫)
● 夜半の水車の音 高市郡越智岡村
 越智岡村の育成小学校の東北に、廃物の水車がある。昔、それが働いていた事、もう夜半で運転の止っていた筈なのに、コトンコトンと怪しい音がするとの噂が立ち、通行人も絶えていた。或強力な人が之を聞き、鋤を一挺さげて水車の蔭で待っていると、夜半近く、向うから一点の怪火が現れ、追々此方へ近づいてくる。やがて水車が鳴り出した。オノレと鋤で其音のする辺をグワンと打つと、『キャッ。』と云って、何物か這出す音がした。
 やはり狐の仕業だったのだろうと云う。(崎山卯左衛門)
● 御坊の由来 高市郡畝傍町御坊
 畝傍の御坊《ごぼう》は、昔は沼で、毎夜不思議な光りが現れていたが、或日漁夫の網にかゝって一体の黄金佛があがって来た。漁夫は直に之を領主に献上し、領主は、沼を埋立て、其佛像を本尊として堂を建て、畝傍御坊と名づけた。それが此地名の起りである。(山田熊夫)
● 娘子塚 高市郡畝傍町大久保
 昔、櫻児《さくらご》という美人があった。二人の男が其美人を争った。櫻児は二人に義理を立て兼ね、林に入って縊死して果てた。其墓が娘子塚で、今も大久保にある。(山田熊夫)
● 久米仙人堕落の址 高市郡畝傍町
 畝傍山の南、深田池の近くにイモアライ川という小川がある。傍らにイモアライ地蔵というのがある。こゝが、昔彼の久米仙人が飛行中、洗い物をしている女の股の白く露はれたのを見下して、通力を失い堕落した址だと云う。(崎山卯左衛門)
● 今井町の名の由来 高市郡今井町
 今井という町の名の起りである。昔、山の上に太い木があった。或力自慢の大男が、力だめしに其大木を抜いて、此地まで運んで来たが、あまりの重さに、『いまいましい。』と叫びながら倒れた。其言葉からイマイと附いたと云う。
 (崎山卯左衛門)
● 化け狐 高市郡八木町
 昔、八木の東外れに、小さな木燈籠があった。何時でも夜の十二時頃になると、狐が人に化けて、其の燈籠に燈をつけに来た。或人が、其の狐を殺してしまおうと企てたが、始めは中々目に付かなかった。けれども遂に、或晩出てくる所を、大きな棒で力限り打つと、『キャッ』といったまゝ消失せた。(崎山卯左衛門)
● 馬を止めた佛 高市郡真菅村慈明寺
 慈明寺の本尊、十一面観音は、今は南向きに安置されているが、昔は西向であった。当時地方の領主越智氏の処へ往こうとして、其配下の神保氏が、この寺の前に差しかゝると、俄に馬が止って、幾ら鞭うっても動かない。已むを得ず馬から下ると、はじめて進んだ。不審に思って人に聞くと、それは、こゝに、あらたかな観音佛が道に向って居られるからであると云ふ。それではと云うので、今の様に南向にかへて供養したら、其後は故障もなくなったと云う。(崎山卯左衛門)
● ぴんぴん橋 高市郡真菅村五井
 真菅村五井の方から今井への里道の小川に、ぴんぴん橋というのがある。
 昔、一人の盲女が、三味線を弾いて此の辺に来、此の橋を渡ろうとして落ちて死んだ。それ以来、こゝを通る者があると、川の中で三味線の音がする。音がやめば、手を叩くと又その音がするそうである。これは、必ず盲女の妄念が残っているのだろうといわれ、この橋をぴんぴん橋と称している。(崎山卯左衛門)

● 五井の蛇組み 高市郡真菅村五井
 五井の南端、曽我川に臨んで、大きな榎が一本ある。昔から、其木の所へ川上から大蛇が下って来て、田畑を荒らすと云うので、村人達は『じゃぐみ』という事をして、蛇の下るのを防いでいたが、或年一度怠ると、其年は恐ろしい不作に見舞われた。
 蛇組とは、旧正月十一日に、藁で蛇体を作り、大蛇封じをすることである。
 (東蕗村)

● 流れ着いた佛像 高市郡真菅村曽我
 曽我の光巌院本尊は、昔洪水の為に、村の西口を流れる曽我川の上流から流れて来て、竹藪に引掛って止った者である。それで其藪をガランヤブと呼び、佛像をガランサンと今も呼んでいる。(崎山卯左衛門)
● 北林の狸 高市郡真菅村曽我
 高市郡真菅村曽我に、北林という豪家があった、此の家に、長らく狸が棲んで居た。
  或晩のこと、此の家で小豆飯を炊いて、残りを鍋に置いて寝た。夜中主人が眼を醒ましてみると、二匹の狸が沢山の子を伴れ、鍋の蓋を取って、小豆飯を食べさせて居た。此れはきっと狸の食物がないのだろうと思い、その翌晩からは、よい食物を作って、出して置くと、翌朝には、いつもすっかり無くなっていた。或夜泥棒が入って、家人を皆叩き起し
 『やい、金を出せ。出さなかったら、殺してしまうぞ。』
とおどし立てた。一家の者は只ぶるぶるとふるって居るのみであった。
 其処へ、表の方から、二人の大力士が、どしどしと、入って来た。そして泥棒に向い、
 『ヤイ、何を言やがるのだ。ぐづぐづ言わんと、さっさと出てほけろ。』
と大声でどなり付けた。泥棒は、一目散に逃げ走った。家内の人々が漸く我に帰り、力士に向って厚くお礼を述べながら、頭を上げて見ると、もう誰も居なかった。不思議に驚かされながら、暫く眠っていると、一同の夢に、狸が出て来て、
『何時もよい物を戴いて居ります。御恩返しに少々お助けした譚です。』
と言ったかと思うと眼が醒めた。これから北林の一家は狸を命の親として、益々丁寧に取り扱って居たと云う。(崎山卯左衛門)

● 三段御作 高市郡真菅村地黄
 地黄に惣五郎という人があった。六月の田植時のこと、三段御作といって、三段歩の広さのある大きな田の植付を終えて、夕方家に帰る途中、ふと、野井戸に子狐の溺死しているのを見付け、畑の隅に葬ってやった。
 その夜半頃、表をトントンと叩く者がある。惣五郎が目を覚ますと、五六人の声で、
 『お田引いた惣五郎さん、三段御作の皆引いた。』
と言って行ってしまった。
 翌朝惣五郎が田に出て見ると、昨日折角植えた広い田の苗が、一夜の中にすっかり引き抜かれて居た。惣五郎は驚いて、人々に尋ねたが、誰も知っている者はない。ふと、昨日の狐のことを思い出し、埋めた畑にいって見ると、こゝもすっかり掘り返されて、子狐の死骸も無くなっている。
 是は親狐が思い違いをして居るに違いないと考え、惣五郎は、其辺の川堤や、竹藪、雑木林等、兼ねて狐のすんでいるという所を残らず廻って、
 『子狐は溺れ死んで居たのを、葬ってやったのだ。思い違いをすな。』
と、どなりながら歩いた。すると又その夜半に、
 『よういせえ、こうらせえ。』
と伊勢音頭の声が何処からともなく聞えて来た。そしてそれが惣五郎の家の前で止まると、またトントンと戸を叩いて、
 『お田引いてすまなんだ。三段御作また植えた。』
と言っていった。
 夜が明けてみると、大きな鏡餅が一重ね、門に置いてある。そして、三段御作は、又もとの通りに植えてあった。(崎山卯左衛門)

● 地下に埋没した寺 高市郡真菅村土橋
 土橋の南方に、春道観音堂という小堂がある。昔、この辺一帯に、春道千軒といわれる盛んな寺院があったが、一夜の大風雨で洪水が起り、深く其下に埋没してしまったと云う。(崎山卯左衛門)

● ちんばを癒した地蔵さん 高市郡真菅村土橋
 土橋の専念寺と云う大きなお寺の直ぐ北側に、地蔵さんが立派に祀られている。
 嘗て奈良の人が、生来ちんばで困っていた。此の地蔵さんのあらたかな事を聞いて、五里の道を駕籠で参詣し、一心に願を籠めると、忽ち足が立ち奈良迄歩いて帰っていった。
 是から信者が益々殖えた。佛像も元は五体だったのが、今では八体になっている。奈良の人が地蔵様に伴れがあったら良かろうとて、石地蔵を拾って来て、一所に置いたのだと云う。(崎山卯左衛門)
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