● 十津川の名の起こり 吉野郡十津川村
 天武天皇が、まだ大海人皇子として、吉野山におかくれの時、はるかに南の方を望んで、「とほつかは」と嘆かれた。
それが「とつかわ」の地名の起こりだという。
 高田十郎著「随筆山村記」
● 果無山<はてなし>の名の起こり 吉野郡十津川村
 十津川の西南紀州境に、果無山という山脈がある。
元は熊野通いの一街道で、上り下り七十二丁(八キロ)ずつの阪路が大いににぎわった。ところがこの山中に「いっぽんだたら」という怪物がいた。足は一本で眼が皿のようだった。常には人を害することはないが、「ハテの廿日」(十二月二十日)だけは危険だということで、その日は人通りがなかった。ハテに人通りがないからハテナシ山と名がついた。 高田十郎著「随筆山村記」
● 天狗崖《てんぐうら》 吉野郡十津川村高津
 高津には、十津川村の流れに臨んで、一大断崖が懸かっている。之を天狗崖と云う。常に大天狗、小天狗が数多住んでいて、秋の候になると、天狗の為に此の断崖は美しく彩られる。若し、天狗の意に反することをするものがあると、忽ち其の怒りにふれて、不祥事に逢う。現に、それが為に此の辺で命を失った者も数多ある。
 (榎朝義)
● 牛鬼瀧 吉野郡十津川村川津
 十津川村大字川津の人里から、一里も離れた小黒谷の上流に、牛鬼瀧というのがある。広さは八畳敷位、高さは三丈位ある。
 昔から、若し此の瀧を穢すと、此の淵のヌシの怒にふれて、天忽ち曇り、電光雷鳴一時に到って、必ず危難を受けると云う。(榎朝義)
● 七人旅の不祥 吉野郡十津川村榎谷
 昔、榎谷の近辺で、七人組の旅人が、飢饉の為に死んだ。それ以来、七人連れで此辺を通る者があると、彼の怨霊にとり憑かれて、死んでしまう。それで、現在もこの辺の人々が、旅行する場合に、若し頭数が七つになれば、強いて一人増加して一行八人とするか、或は一人減らして六人となって出る。
 昭和五年の四月、奈良県郡山中学校山嶽部員が、吉野郡野迫川、十津川両村の間で遭難した時、丁度一行七人であったのを、此辺では意味あることに取沙汰した。
 (小島千夫也)
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