● 湯谷の由来 五条市湯谷町(旧宇智郡南阿太村湯谷)
 湯谷には、聖武天皇時代の御代、行基菩薩の開基にかかるという阿弥陀寺がある。昔は薬湯が湧出していて衆生を済度≪さいど≫され、湯の阿弥陀といわれたという。湯谷の名はそれから出ているので、今でもあまり積雪のない場所があると、古老は伝えている。(亀多桃牛)
● 野原の最初墓 五条市野原町 (旧宇智郡野原町)
 野原町の共同墓地を最初墓という。昔、弘法大師が大和の一郡毎に七墓所を加持せられた。その最初の墓だといわれている。(吉川星一)
● 野原助兵衛の墓 五条市御山町 (旧宇智郡宇智村御山)
 徳川家康の頃、野原助兵衛という武勇の侍がいた。助兵衛は大阪の役が起こると、ただちに豊臣方に招かれて入城し、たびたびの合戦に武勲をたてた。元和元年五月六日、鴫野口≪しぎのぐち≫で一隊の長となり、関東軍を大いに悩ました末、友軍と離れて深く敵地に入り、ついに疲労したので敵の面前で馬を下り、扇子を開いて涼を入れていた。すると戦死者の中にかくれていた敵兵に後方からねらい討ちにされた。子息何某が亡き父のかたきを討ち、父の首を奪いかえして郷里に帰り、厚くこれを葬ったのが、この墓であるという。
  (藤井頼重)
 なお、この墓地を定めるについての伝説がある。墓は御山の西方、小高い見晴らしのよい畠の中にあり、村人はこれを助兵衛墓と呼んでいる。
 はじめ、助兵衛が大阪方に加担して出発する時、今の野原・五条・宇智の各地を経て金剛山に上り、自分の郷土の方向へ向かって弓を引き、わが亡きあとは、この矢の落ちた場所に埋めてくれ、といって弦を放した。その矢が、空中八キロ以上を飛んで、前にいった場所に落ちた。そこでその言葉に従い、その場所に葬り、碑を立てたのだと伝えている。(山口七郎)
● 御山の御陵の祭り 五条市御山町 (旧宇智郡南宇智村御山)
 御山の御陵の主、井上内親王に関する伝説は、三四七話(● 井上内親王の遺蹟)にでているが、さらにこの一項を加える。
 昔から御陵の祭りのあるときは、二、三日前から村人はその陵内を掃き清めている。すると、どうしたことか、その祭りの当日は必ず雨が降るという。村の人々は、この神様は世をお恨みのことがあり、それで御陵にさわることをおきらいになるのだろうといい伝えている。(平井弘次)
● 宇野峠の狐 五条市三在町
 大和五条の東、吉野郡大淀町との境に宇野峠がある。ここには狐がいてよくだますそうである。
 五条の町には何某という医者がいるが、その医者の家へ、ある夜立派な提灯をつけて、人が迎えに来た。家を聞くと五条の東だというので、人力車に乗って出かけて行った。すると宇野峠へかかった。峠の中程まで来ると、立派な門構えの家がある。どうも記憶にない家だがと思いつつ、案内の男たちに連れられて中へはいった。はいって見るとじつに立派な家で、子供が絹の蒲団を着てねている。怪我をしているので傷口を縫うて、薬を盛ってやった。すると家の者が金だらいに水を入れて出した。医者はそれで手をていねいにあらっていた。
 一方車ひきは何時までたっても出て来ぬので、心配になって門をはいって行くと、家も何もない。ただ池があって、その池で医者が手をあらっていた。正気にかえって二人ともびっくりした。
 さて師走の寒になってから、医者はどうも気がかりなものだから、イナリサゲを招いて、イナリサゲをしてもらうとダイがついて
 「こちの息子が怪我をしたのを、医者に見てもらったら治った」
と白状した。それで宇野峠の狐の仕業ということが分かった。 また、
宇野峠では、人も車もよくまくれる(ころがる)。ある時、イナリサゲを招いて見てもらうと、ダイがついて、
 「俺を祀ってくれないからみんなを引っ張りまわしてやるのや」
といった。そこで、
 「お前は誰や」
と聞くと、
 「俺か?俺は土佐の源九郎狐の孫や」といった。
 土佐というのは、今の高取町の大字で、旧植村侯高取城の城下である。土佐の源九郎は誠に仕えた狐であった。ある時殿様が源九郎に、何かして見せてくれと頼んだ。すると源九郎は、「海の戦争をして見せましょう。しかし刀と鉄砲を側へおいて見てはなりません」と殿様にいった。殿様はよしよしといって、それを承諾した。さてしばらくしていると、あたりが一面海になって、やがて船が来るわ来るわ、じつに恐ろしいほど押しかけて来る、それが法螺貝やら陣太鼓をならして城の方へ攻めて来るのである。矢や鉄砲丸が耳をかすめて飛ぶので、殿様は恐ろしくなって、とても叶わんと思って、本当の鉄砲で撃った。すると、海賊はたちどころに消えてしまったが、源九郎の惣領息子が撃ち殺されていた。源九郎は殿様の不信を憤って、それからよそへ行ってしまった。
宇野峠の狐はこの源九郎の孫であった。そこで稲荷さんを祀ると、それから大して自動車等もまくれぬようになった。

附記 この社を祀ったのは五条の医者だともいわれている。

宇野峠の山高稲荷大明神・ 源九郎稲荷大明神
 ● また(宇野峠の狐)
 下市の町のある嫁さんが子を寝かして、風呂へ行って帰って来て見ると子供がいない。隣近所をさがしてもいないので、人を頼んで遠くの方まで探してもらうと、宇野峠で木を曲げて小さい小屋をこしらえて、ヤイヤイいうて遊んでいた。さっそく連れて戻って来たが、それから子供はよく、
 「あの宇野峠には俺の本当のお母ァがいるんや」
というていた。 (吉野西奥民俗採訪録より)
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