● 潮の満干を知る硯岩 山邉郡豊原村大塩
 大塩という在所から、神野山に出ようとする所に、硯岩がある。上部に手洗鉢の如く穴が開いていて、潮水が溜まっている。この水が一日中ふえたり、へったりするので、伊勢海の満干の度合いが判ると伝えられている。
 昔、弘法大師が諸国を巡錫された時、この村へ来られて、杖でこの穴を掘られると、忽ち底から潮が湧いて来た。大師は、湧いて出た潮から塩をとって、村民に興へた。そしてこういった。
 『この水は、一日に何遍も殖えたり減ったりするぞ。この水の加減によって、伊勢海の潮が、満ち潮であるか、引き潮であるか判るのだぞ。』
 そこで、その村を大塩村と名付けた。今もその巨石は、不思議なものの一つとして残されている。(乾健治)


● 鐘の埋められた処 山邉郡豊原村大塩
 大塩から月ノ瀬方面に出る村外れに、薬師様の像を石に彫りつけたところがある。そこをヤクシと呼ぶ。昔、ここに大きなお寺があったと云う。又、薬師像の右端の地上に凹んで穴になった所があり、梵字を刻んだ石が立っている。ここには昔から、鐘が埋められているといはれる。今は、歯痛の神さんになっている。
(峯憲仁、乾健治)


● 廣瀬橋のおふみ 山邉郡波多野村廣瀬
 名張川に架かった廣瀬橋は、幾度架替へても又落ちる。それは、昔この廣瀬に、おふみという美人があった。十六の春、庄屋の家に奉公に出て、庄屋の息子と恋仲になった。庄屋は不人情で、二人の仲を裂いた。おふみは家に戻って恋病に悩んでいたが、遂に蜂の巣という淵に身を投げて死んだ。それ以来、其執念が橋を流すことになったのだという。(乾健治)


● 神様の婿入り  山邉郡波多野村吉田
 吉田の氏神岩尾神社の神様は、伊賀の国から入婿に来られたものである。
 昔、村人が、氏神を勧請する為に社殿を作り、上棟式の最中になって、急に空が曇り、 伊賀の国境から、怪しい黒雲が襲ってきて、神殿の上に恐ろしく蓋いかかった。そのあとに石の長持一対と、之を担った『石だすき』と云って十文字の筋の這入った花崗岩の巨石と、一本の石杖と、休憩の際水を飲まれた石水鉢とが残って居た。是は、神様が確かに入婿されたしるしであった。これらの石は、今も村人から崇拝されている。
 一説には、これらは伊賀から流れて来たともいう。
 (乾健治)

※写真:岩尾神社、本殿背後の巨石。
    十文字の筋が入っている。



● 天狗の積んだ石 山邉郡波多野村遅瀬
 遅瀬に、四畳半ぐらいの石が三つ、見事に積み重なった所がある。昔天狗が積んだものだという。(奥中梅太郎)


● 岩から抜けた鐘 山邉郡都介野村吐山
 山邉郡都介野村の西南隅、山邉、磯城、宇陀の三郡境上に貝ヶ平山というのがある。通称してカネヒラ山とも呼ばれる。
 都介野村の大字吐山、小字成福寺《じょうふくじ》に、アセボと通称される家がある。昔、其先祖の某がカネヒラ山へ柴刈りにいった。山腹で何かオーンオーンオーンといった山鳴りの様な音がしている。怪しんで其方へ近よってみると、チロと草の間から異様の金物が見えた。よく視ると、大きな鐘が一つ、岩の中に食い込んでいるのであった。余程古い物とは見えるが、甞て噂に聞いたこともない。とにかく、『クズワ藤』で其龍頭をしばり、あたりに美しく咲いていたアセボの花の枝を、目じるしに括りつけておいて、一先づ走帰って、村役人に知らせた。
 村役人達も驚いて、早速、某を案内に立てて往ってみたが、もう、鐘の正体はなく、ただ、その岩に、深さ二尺あまりの鐘のぬけあとが、ハッキリと残っているばかりであった。
 鐘は、その後、山を越えて大阪湾へ流れていった。今は堺の浦のハトガ濱で、みぎわから一丁許りの海中に在って、毎年旧三月節句の干潮の時、龍頭を水上にあらわすと言われている。
 カネヒラに登る人は、今も必ず此の鐘のぬけあとを見てくる。又彼のアセボと某の家が呼ばれるのは、当時この鐘を結びつけた花の名から、役人につけられたのに依ると云う。アセボとはアシビ、「馬酔木」のことである。
 (野崎久太郎談、松田賢三報)


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