● 車返し 山邉郡丹波市町田部《たべ》
 田部から丹波市の市街に通ずる県道上に、車返しといふ所がある。昔、田村将軍が、車に乗って此処を通って居ると、俄に車があとがへりをして進まなくなった。ここへ、白髪の占者が通りかかり、是は西の方の八條にある菅田神社が東向きなのに、其前を甲冑で通らうとするからだと占った。それで、人を遣って祠を南向きにすると、車は又進み出した。是から車返しと云ふ名がついた。(乾健治)


● あから頭 山邉郡丹波市町石上《いそのかみ》
 ずっと昔のことである。旧十一月一日の朝、丹波市町岩屋ヶ谷の奥から、あからといふ不思議な獣が現はれて、一日の内に、丹波市町の石上から下って、二階堂村の上總《かんさ》、喜殿《きどの》六條、八條を越え、遠く生駒郡の額田部の方まで、川すぢの野のものを、みんな台なしにするほど大荒しに荒した。百姓は大いに怖れて、それから毎年十一月一日には、上は岩屋ヶ谷から、下は額田部の方まで、この不思議なあからの頭をまつるお祭をする事になった。
 石上より下の村では、ひるから休んで遊ぶのだが、岩屋ヶ谷は朝からあからが現はれたので、朝の間から酒を飲んで、仕事を休むことになってゐる。
 この祭を、この地方ではいのこともいふ。但し数年前から、この祭をしない村が、多くなって来た。(仲川明)


● れんげの咲かぬ処 山邉郡丹波市町藤井
 纒向《まきむく》山の十市遠忠の城を、信貴山の松永久秀が、水攻めにしようとして、十市城の水道を探索して居た時、山邉の藤井まで来ると、一人の子守が居て、其水源を教へた。試みにレンゲの花を取って、其流れに浮かべてみると、果たして纒向山に向かって行くので、早速堰き止めてしまった。十市城は、それで遂に落ちた。藤井では、今もレンゲの花が咲かないが、是は彼の時以来、十市氏の怨みによることだと云ふ。(小島千夫也)


● うらなひの木 山邉郡二階堂村前栽
 前栽の字十二所に、大きなセンダンの木がある。『うらなひの木』と呼ぶ。昔、聖徳太子が法隆寺を建てられる時、適当の地を占ふ為、矢を放たれると此処に落ちた。併し、ここでは余りよくないので、更に射直されると今の法隆寺の所に落ちたと云ふ。(乾健司)
 参照。磯城郡『矢継ぎの森。』


● 起返った大木 山邉郡二階堂村富堂
 富堂の川薬師の境内に、数年前まで一本の大木があった。昔、風の為に南向きに倒れたが、堂の子僧が、一週間水垢離をとって祈願したら、又起返って栄えて居たものだといふ。(村田藤男、乾健治)


● こんにゃく橋の幽霊 山邉郡二階堂村稲葉
 二階堂村の稲葉と嘉幡《かばた》との間に、こんにゃく橋といふ石橋がある。夜おそく通る者は無い。
 昔、稲葉に孫兵衛といふ麺売があった。或夜の帰り途に、ここに掛かると、女の幽霊が、口にこんにゃくをくはへて現はれた。孫兵衛はギョッとして、一所懸命に念佛を唱へた。九十九遍目に、漸く幽霊は消え失せたと云ふ。是は、こんにゃく一つの事で夫婦喧嘩をして、それが為に死んだ女が稲葉にあり、其妄念が此橋の辺に迷って居るのだと云ふ。(乾健治)


● 二階堂の牛塚 山邉郡二階堂村二階堂
 二階堂には、中街道端に牛塚といふのがある。昔、或農家に、よく働く一対の牛が居た。或日、今の塚のある地点で、其牝牛が病気を起こして死んだ。牡牛も非常に悲しんで、続いて其後を追って死んだ。それで其屍骸を葬り、追福の為に一本の木を植ゑ、農神とあがめたのが此牛塚である。今も、此地方では男女十七歳になると、この塚で供養をする。(小島千夫也)


● 豆の飯 山邉郡二階堂村
 昔、二階堂村の菅田に、一人の殿様が住んで居た。その殿様が、六月一日に、自分の妻及び七人の子供を殺した。
 その時田園には豆が多く実ってゐたので、村人は豆飯をたき、寺で供養した。それ以来、毎年六月一日には、子供は正午、大人は夜、寺で豆飯をよばれる事になってゐる。(菅田實)


● 田村麿の墓 山邉郡朝和村中山
 中山の念佛寺の北にある共同墓地の西南端に、大五輪塔がある。阪上田村麿の墓だと傳へられる。若し之に触れると、腹痛が起こって死ねるといはれ、恐れて触れる者はない。(乾健治)


● 鹿の足石 山邉郡朝和村乙木
 乙木の氏神、夜都伎《やつぎ》神社の三丁ほど東に、鹿の足石といふ大石がある。其面に、鹿の足跡といはれる凹みがある。昔、春日明神が常陸から奈良に遷幸の時、鹿に乗って来られたが、ここで暫く其足を止め、遠く北方の春日山を眺められた。足跡は其時のものであるといふ。(乾健治)


● 長柄白鳥神社の由来 山邉郡朝和村長柄
 長柄《ながら》の村社白鳥神社は、祭神日本武尊、例祭九月二十二日となってゐる。
 昔、日本武尊が薨ぜられると、突然其御姿の中から三羽の白い鳥が飛んで居た。そして御姿の周りを三周した上、空高く飛び去ったが、遂に此長柄の南五丁の処におりた。そこに其鳥を祭る為、建てられたのが此白鳥神社だと云ふ。(堀田三郎)


● 蚊の居ない処 山邉郡朝和村
 山邉郡朝和村佐保之庄の東南、山邉道に沿うて、小社がある。境内に松樹が五六本ある。昔、後醍醐天皇南遷の時、此山邉道を辿り、一夜をここで明かさせられ、蚊を封ぜられたので、今もここには蚊が居ない。(平田知博)


 又、同村大字園原、小字里中の東氏の門前に、樫の木がある。もと其下に大石が一つあった。昔、弘法大師が、此処で休憩した時、蚊が多くて、うるさかったので、大師は之を石の下に封じ込めた。其後一匹も蚊の居ない所になって居たが、二十五年前、東氏の老人が、其大石を堀出して、裏の石垣に使ってから、又蚊が多くなって居る。(山中忠逸、乾健治)


[HOME] [TOP]