● おうてくれ婆 天理市岩屋町(旧山辺郡丹波市町岩屋ヶ谷)
 豊田から岩屋へ越す山道の峠に、石舟といって、道の中央に松の木のある人里はなれた所がある。ここで昔、
 「おうてくれ、おうてくれ。」
という老婆が出たという。(天理市史による)


● 車返えしと千代山鉾 天理市田部町(旧山辺郡丹波市町田部)
 京都から勅使が大和神社へ参る途中、道中物騒であったので、ここから京へ引き返えした。四月一日のちゃんちゃん祭りの時に出す千代山鉾というのは、この勅使の代わりであるという。(天理市史による)


● 内山の生産<しょうさん>神社 天理市杣之内町(旧山辺郡丹波市町杣之内町)
 明治維新で廃寺になった内山永久寺の上乗院内に生産神社(正産とも書く)があった。そのご神体は住吉神社のご神器だとも観世音菩薩像だともいうが、七重に勅封されたからびつに納めてあったという。もとは鎮守の杜の相殿に祭ってあったが、養和年間から上乗院内でまつっていた。安産の神として一般の人々の信仰もあつかったが、特に京都の禁裡仙洞で皇子がお生まれになる時は、このご神体をお迎えして祈願された。その時は、ここの僧がかごに乗って奉持して行って加持<かじ>をしたという。(仲川明)


● 天狗の松 天理市滝本町(旧山辺郡丹波市町滝本)
 滝本の字出張<でばり>というところの山を天狗山といい、そこに天狗松がある。昔、天狗が住んでいたという。これが俗にいう桃尾山の天狗である。
  (天理市史による)


● 神牛の足あと 天理市藤井町(旧山辺郡丹波市町藤井)
 藤井の字神田に大きな岩があり、その岩の上に牛の足あとが三つある。昔、神様の牛がふんだあとだという。(天理市史による)


● 寒つばな 天理市永原町(旧山辺郡朝和村永原)
 御霊神社から三昧田あたりにかけて、田のあぜに寒つばなという、寒中に穂を出すツバナ(チガヤのこと)が生えている。天正の乱世のころ、十市城の十市遠忠<とういちとうただ>を攻めた越智玄蕃頭<おちげんばのかみ>が北国から寒つばなを移植して、その花穂が寒中白剣のごとく輝くので、兵力の多いことを擬装したものだという。
 この草は麻疹<はしか>にもよくきき、女子のこしけの薬用にもなるので、明治初年までは京都の公家の奥方が、この寒つばなを採集にきたともいう。
 (天理市史による)


● 光を放つ霊木 天理市中山町(旧山辺郡朝和村中山)
 昔、行基菩薩が中山のある草庵で一夜をあかされたことがあった。その時、字長山<おさやま>の土中から光を放つものがある。行って見られると一つの朽木<くちき>であった。これは霊木であるといって、みずからこの木をもって観音菩薩の像を刻まれた。一宇を建ててこれを安置し、中楽寺といった。
 天正四年、十市落城の際、兵火にかかって滅んだ。(天理市史による)


● 鳴動する天神山 天理市萱生町(旧山辺郡朝和村萱生)
 萱生<かよう>の村の中に小高い山がある。堂の山・天神山・空路宮<くろく>山ともいっている。
  正月どんどこまで
  空路宮山のすそまで
  お帰りお帰り
と、子供がうたう空路宮山だといい、菅原道真を祭神とする天満宮を、この地にまつっている。日露戦争当時、この山が夜明けに動鳴した。毎朝ごうごうとうなりを立てるので、騒ぎたてられて、遠くからも押しよせる群衆で境内は埋まり、屋台店まで出たこともあった。いまも不思議とされている。(飯田衛)


 
● 無言の初詣 天理市萱生町(旧山辺郡朝和村萱生)
 元旦の朝、萱生でも各戸家族そろって、必ず大和神社へ初詣をするが、途上で人に会っても、無言のままで行き過ぎる風習がある。これには秘められた哀話が残っている。
 昔、不作の年があって、庄屋が村を代表して領主に年貢の滅免方を訴願したが、怒りにふれて投獄されたまま新年を迎えた。それで村人たちは松飾りも賀詞もその年は取り止めた。それが村の風習となって、今日まで伝っているのだという。
 (飯田衛)
 また、これと同じようなことは萱生から南方四キロの穴師<あなし>(磯城郡大三輪町)にもある。昔は元旦の未明に小松明を持って氏神へ参拝したが、道で人と出合っても、ものをいうと、口から福の神が飛んで出るといって、口をきかない。たとえ親子でも棟を別にしていると口をきかなかったという。(萩原愛孝)


● 白い蛇 天理市南六条町(旧山辺郡二階堂村南六条)
 杵築神社の境内に観音堂があり、毎月十七日に観音講がつとまる。寒中、三十三番の詠歌をあげて、付近で焚火をしていると、白い蛇が土の中から出てきたので、とんどの中にほりこんだ。その翌日も焚火をしていると、また同じ白い蛇が出てきたので、とんどの中にほりこんだが、みな不思議に思っていた。
 昔、ここの観音を信仰し、断髪で一生男装で暮した女性があった。林慶法尼といった。田三反(およそ三〇アール)を献納していたが、この尼の供養をしないから白い蛇に化けて出てくるのだというので、石塔を刻み供養をした。それからは、九月十八日を命日として営みをつづけている。ある夜、観音講をつとめていると、漢音様の首のまわりを三回ぐるりと白い蛇がまわった。詠歌をやめて般若心経を唱えると、蛇は頭の上にあがり、赤い舌を出してのぞいた。その日はかの女の命日であったという。(天理市史による)


● 弁慶のもっこ塚 天理市二階堂北菅田町(旧山辺郡二階堂村菅田)
 中街道をはさんで、東と西に二メートル平方ぐらいの二個の塚がある。これを弁慶のもっこ塚といっている。昔、弁慶がもっこに土を入れて一荷おいていったものだという。いまは開墾されて、その名だけ残っている。あるいは一里塚であったかもしれないといわれる。(天理市史による)


● 又(ジャンジャン火) 山邉郡丹波市町藤井
 同じ物について、藤井辺りで言うことには、十市城が落ちてから、毎年新しいヒトダマが西へ飛ぶ。之をザンネン火とかジャンジャン火とか呼ぶ。火の玉の大きさは、たらひ位であって、一丁位の距離まで、ジャンジャンと火の燃える音が聞こえ、家の門口でも通ると、家の内の蜘蛛の巣や障子の塵までわかる。若し道行く人が之に出逢うと、直ぐ橋の下などに逃げ込んで、通り過ぎるのを待つことになって居ると云う。
 元来、十市山にはゴロといふ生き物が居る。ゴロリとして太い物だが、太さと長さは殆ど同じ位で、目も鼻もない。是が、人を見ると直ぐ飛んでくる。是が、夜はジャンジャン火になるのではないかと、とも言われて居る。 (乾健治)


● 首切地蔵 山邉郡二階堂村田井庄
 丹波市町、大軌・天理停留所の西、十字路の辻堂に、首切地蔵と云うのがある。首無しの石地蔵である。
 昔、大晦日の夜、二階堂村前栽の庄右衛門という浪人が、此地蔵堂で休んで居ると、東の十市山からジャンジャン火が飛んできて、浪人に迫った。浪人は、持った提灯で防いだが及ばなかったので、更に刀を抜いて振り回したけれども、それも及ばず、とうとう黒焦げになって死んでしまった。翌日、いって見ると、浪人の屍骸には、不思議な虫が一面に付いて居たという。
 本尊石地蔵の首の無いのは、此時、庄右衛門の刀に触れて落ちた者だという。
 (乾健治)


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