● 猟師の仙吉 吉野郡下北山村東ノ川《うのかわ》
 昔、東ノ川に仙吉という男があった。何よりも狩が好きだった。
 或日、犬をつれて大台ヶ原に分け入り、一日中あちらこちらと駆け廻り、すっかり疲れてわが山小屋に来て見ると、内から糸繰りの音がする。怪しんでのぞいて見ると、内には、一人の美人が坐って、糸を繰っている。仙吉はゾッとした。足許の猛犬も、どうしたものか、頭を垂れ尾を巻いて、縮こまって居る。
 「これは、いよいよ妖怪だ。」
と思って、キッと種子ヶ島をとり直し、妖女めがけて、ズドーンと打った。併し女は少しも変わらず、同じ調子に糸を繰っている。しまったと思って、二発、三発、四発と重ねたが、女は猶ニコニコしながら、平気で作業をやっている。
 気がついて見ると、弾は最後の一発となっている。是こそ命とかけがへの弾だと、仙吉は瞑目して心を鎮め、一心に神佛を念じながら、ねらいを定め、今度こそはと最後の一発を放った。それと共に妖女の姿は消えた。翌朝になって見ると、小屋から少し離れた所に、牛程の怪獣が倒れていた。
 是以来、仙吉は狩猟を止めたと云う。(岸田日出男)
● 藤堂さんの塚 吉野郡下北山村大瀬
 昔、大瀬に藤堂さんという人が居った。何処かの落人だと云う事であった。中々の人格者で、村人の尊敬をうけてをったが、或る日の事、
 「わしは、これから定に入る。向こう七日たったら、私を、あこに見える大きな樒の木の下に、埋めてもらいたい。それから、今度若し大瀬の村の浮沈に関するような事があった時には、あの樒の木の下を掘れ。必ず、一村が浮かび上がれる丈の物が蔵してあるから。」
と厳かに云い出した。
 やがて、藤堂さんは、家の中に籠もって、斎戒沐浴の後、厳粛な勤行をすまし、白衣を身に纏うて、自ら棺の中に入り、中からピシャリと蓋をしてしまった。村人達は只あきれ返って、だまって見て居るばかりであった。
 所がよく見ると、棺には小さい孔が作ってある。数えて見ると七つだ。
 「これは芝居だ。見てをっても仕方がない。」
と一同は、藤堂さんを見限って、夫々家にかえった。棺の中からは、チンチンと鉦をうちつつ、経文を唱える声が聞こえ出した。
 男達は山仕事にいった。女衆は野良にいった。日が暮れて、皆は家へ帰って来たが、藤堂さんの家からは、猶絶えず鉦の音が聞こえて来た。
 この鉦の音は、二日目も三日目も続いた。そして昼夜共に絶えなかった。四日目の朝になって、村人の一人が、試みに藤堂さんの家にいってみた。棺の中では、相変わらず経文と鉦の声がして居る。所が怪しいことには、七つあいて居った孔の中の三ツまでが、内から堅く栓をさされて居る。それは不思議だと云うので、村人達も皆又集まって来た。
 どうも藤堂さんが定に入ってから、丸三日経って、三ツ孔が塞がれている。これは、毎日の終わりに一ツづつ内から塞いで行くのであろう、皆も始めて考えついた。翌けて五日目の朝に、いって見ると、成る程又一ツの孔が塞がれて、残りは三ツだけになっている。是は愈々藤堂さんは本気だった、と皆も又々おそろしくなって来た。
 こうして、七日目の真夜中と思う頃になった。今まで七日七夜の間絶ゆることなしに、なりつづいていた鉦の音が、心付いてみると鳴り止んで居る。それと云うので、二三の者が又行って見ると、果たして、七ツの孔が全部鎖されてしまい、棺の中は、シンと鎮まって居た。
 愈々藤堂さんは定に入ってしまったと分かったので、翌日即ち八日目に、村人は全部家業を休んで、丁寧な葬式を行い、遺言通りに、大きな樒の木の根もとに埋葬し、大きな塚を拵へ、立派な石塔をその上に建てた。その塚も石塔も、いまだに大瀬に遣ってをり、「藤堂さんの塚」と呼ばれている。(平井久五郎)

● 小僧ケ池 吉野郡下北山村池原
 昔、池原部落に、七兵衛という男がすんで居った。この男の生業は、奥山に入って椎茸を栽培することであった。
 その年の秋も、相変わらず、椎茸榾の寝せ込みをする為に、七兵衛は、愛犬の六を引きつれて、例年の通り備後川の上流に向かった。栽培地は、備後川が東の川に合流する所から、道のない険しい山腹を、備後川の流れに沿うて二十丁許り遡り、又十丁許りの険阻を挙ぢてトヤ狽フ背後に出ると、小僧ケ池と云うのがある。其畔に設けられているのであった。このトヤ狽ニいうのは備後川の右岸、天斧で創り成した様な大絶壁が、数丁の長さに亘って雲を摩しつつ相連ってをるものすごい絶嶮地、小僧ケ池は其背後に当たり、海抜四千尺位の可なり広い高原地の中央にあって、水面は三四十坪ばかり、鬱蒼たる原生林に包まれて、底知れぬ暗碧を物凄く湛えて居る。
 七兵衛は、例によって、池の近くに山小屋を建て、愛犬と共に、幾昼夜かを其処に送りながら、椎茸榾の寝せ込み作業を続けて居た。 
 或る朝、七兵衛は、炊事の水を汲みに池の端に出た。フト見ると、池の中程に一人の美人が立って、こちらを見てニッコリと笑って居る。七兵衛は元来剛気な男であったが、是にはゾッとして、あわてて山小屋に逃げ込み、夜具を被って息を殺していた。
 事は是だけで済んだけれども、七兵衛は、是からヒドく発熱して、頭が上がらず、其儘飲まず食わずの呻吟をつづける身になった。
 此事があってから、十日許りの後だった。七兵衛の弟八兵衛が、たまたま雨降りで山にも行けず、池原の家で、刃物磨ぎをして居ると、突然、表から飼犬の六が飛び込んできて、いきなり八兵衛の着物の裾を咬へて引く。これは、追付け兄貴の帰って来る前触れだろうと思って、気にも掛けなかったが、いくら待っても七兵衛の姿は見えぬのみか、心付いてみると、犬は前から頻りに妙な吠え方をして、何回も何回も着物の裾を引っ張っている。
 是は、何か山に異変があったのに相違ないと、始めて察した八兵衛は、急ぎ支度を整えて、兄の仕事場に向かった。犬もこれで態度を改め、喜んで先に立って駆け出した。
 こうして、山小屋について見ると、果たして兄は不自由な病床に横たわって居り、暫くの事に、全く見ちがえる程に衰えきって居る。しかし七兵衛は、只涙を流すだけで、事情は何事も云わない。とりあえず八兵衛は、其のまま山小屋に留まって介抱し、少し元気づかせた上、兄を背負って家に帰ったが、七兵衛は段々加減が悪くなり、遂にいまはの際になって、始めて過ぐる日の怪美人の話を打ち明け、今後決して彼処では椎茸を栽培するなと遺言して、終に長き眠りについたのであった。

 同じ池原に、大吉と云う猟師が居った。性質慓悍で、甞て恐ろしいと云うたことのない男であった。七兵衛の葬式の日、其弟の八兵衛からこの事を聞いた大吉は、そんな馬鹿げたことがあるものかと、或る日のこと、エラい元気で、鉄砲肩に、備後川を遡って、小僧ケ池の畔に着いた。
 さて何事かあればよいがと、久しく池の面を見つめて居ったが、何の変わったこともない。
 「それ見たことか。」
と一人呟きながら、付近の大きな松の木に攀じ登った。そして徐々に得意の呼子の笛を吹きはじめた。これで鹿や猪を誘き出そうとするのであった。所が、この時、今まで静まって居た小僧ケ池の水が、俄かに動き出し、ハッと思う間もなく、スクッと一人の人間が、水面に立ち上がった。優しい美少年の姿である。
 「ハ〜ア、矢っぱり出て来たナ。」
大吉は、こう思いながら、やおら背負うた鉄砲を取りおろし、美少年めがけて、ズドンと一発放った。
 弾は正しく怪少年の腕に中った。忽ち山をくつがえす様な物凄い叫聲が起こると共に、彼の美少年は、爛々たる眼光鋭く、大口開いた大蛇と打ち変り、水面を渡って、樹上の大吉めがけて襲うて来た。
 流石の大吉も、是には仰天した。夢中で木からすべり落ち、何処をどう走ったやらも覚えず、命のかぎり逃げのびた。
 道の二里も走ったかと思う頃、始めて恐る恐る後を振返ったが、大蛇の姿もまづ見えなかった。ホット一息ついた者の、全く処も方角も分からない。散々、山中をうろついた末、何日目かに、ヤッとのことで、自分の家にかえりつき、是からは、プッツリと猟師をやめた。
 小僧ケ池という名は、是から始まった。大吉の登って笛を吹いた松は、「笛吹きの松」と呼ばれるようになり、この付近は、其後誰一人も往くもののない所になった。  (平井久五郎)

● 天然和尚と山男 吉野郡下北山村池峯
 今から約百年前のことである。池峯に、龍光寺という曹洞宗のお寺があって、その住持に天然和尚という人があった。当時、五十余歳、智徳兼備の高僧として、敬慕の標的となって居た。
 ある年の正月十五日、天然和尚は、池峯から凡そ二里許り隔てる下桑原という所から、御祈祷を依頼されて出ていった。其帰り途の事である。下桑原と池峯との間には険しい中根峠というのがある。暗くならぬ間にと、和尚は急いで其頂上まで辿りつくと、遙か西方に聳ゆる笠捨山の端に、明日の快晴を思はしめる、美しい夕陽が、今や静かに沈もうとして居る。和尚は我を忘れて暫し見惚れてをった。
 この時、ザクザクと音がして、何か近よって来る気配がする。和尚は我に帰って、その方を見かへったが、別に何も見えない。しかし、音は猶確かにつヾいている。すぐ近くにある一つの尾根を廻って、池峯に通ずる道の屈曲点の蔭の方から、誰かが歩いて来る様子尚も其足音が妙に大きく、段々と此方に近付いて来るらしい。
 日も既に入った。和尚も自然かの道の屈曲点に向かって進んだ。両方の足音は互いに追々接近して来る。やがて、曲がり角に達して、ピタリと両方は出逢った。
 その瞬間、大きな木でも倒れる様な恐ろしい声を出して、向こうの足音の主は立ち止まった。
  和尚の前に突っ立ったのは誰か。それは、顔一面にぼうぼうと毛の生えた、得体のしれぬ雲突く計りの大きな怪物であったのである。しかしながら、やはり人間の様に、日本の足で立ち、二つの手をもって居ることだけは、慥かに見受けられた。
 天然和尚はビクともせずに、鋭い眼光を凝らして怪物を睨みつけた。流石の怪物も、和尚の一睨みに会っては、身をすくめて、手も足も出ない様子であった。和尚は進んで、怪物の右の腕を、ヒシと掴んだ。すると、その腕も、一面長い毛で蔽はれてをる。そこで、この怪物は、始めて『小僧』(山男)と分かった。
 「おのれは、わしならこそよかったが、他の人間であれば、慥かに危害を加えてをるであろう。甚だ怪しからぬ奴だ。元来、命はない所が、それも可愛相だから、命だけは助けてやる。さるかわり、今後は、一切人間に手出しの出来ない様、この峠の上に封じこめてやる。」
といって、和尚は呪文を唱えて、かの怪物山男を忽ち骨無し物とした。つづいて、数日の後、峠の頂に、石地蔵を建て、怪物山男を、其所に封じこめてしまった。
 これ以来、中根峠には、恐ろしいことは絶えてなくなり、旅人は安心して通れるようになった。この地蔵尊のことは中根地蔵、又山男のことは中根小僧といわれる。
 天然和尚の存命中は、毎年正月二十四日に、中根地蔵尊の前で、御祈祷祭を行い、土地の老若男女の参拝の盛んであったが、和尚の死後は、いつしかその祭りも絶え、峠の地蔵尊も、何処へいったのか、全くお姿も見うけられなくなってしまった。
 ところが、今から十年程前、大正十五年の夏の日の夕方、下桑原の小西熊市という男が中根峠の附近で、山仕事をしまい、帰途について、大きな曲り角を廻ろうとする時、測らずも、素晴らしい大男に出会った。見れば、その顔一面に、長い毛をムシャムシャと生やしたエラい怪物である。
 熊市も失心せん許りにビックリしたが、怪物の方も何と思ったか、忽ち大急ぎに、元来た道を引き返していった。その足の速いことは、丁度犬の走るようであった。
 怪物の後姿を見た熊市は、急に元気づき、「オイ待て待て。」と大声に呼びつつ追いかけたが、下桑原のトンネル口付近で、終にその姿を見失った。
 この噂によって、村人は大いに恐れ出した。それこそ、彼の中根小僧に違いない。天然和尚が折角封じこめて下さった中根地蔵を、粗末にしたからの祟りだろうというので、其年直ちに、中根峠の頂上と、トンネル口とに、地蔵尊を再興安置し、其後引続き、毎年旧正月二十四日に、祭典を行うようになっている。
 (平井久五郎)

● 狼の宮 吉野郡下北山村上桑原
 上桑原の田戸という所に、神林という旧家がある。今から凡そ二五六十年前、彌重郎という人の代に、年久しく飼われた狼が居た。
 狼は主人彌重郎に善くなれて、山へ猟に行くにも、川へ漁に行くにも、その外主人の外出といえば、何時も御供について行くほどであった。
 或年の夏、彌重郎は、下桑原の鵜の巣という所へ、狼をつれて、鮎取りに行った。日暮まで漁りして、暮れると、川の邊りの山の中へ入って、火を焚き、夕餉もすまし、更に宵の投網などもしてから、焚火の傍で横になり眠に入った。
 夜も更けて、焚火も段々さめた頃に、不圖、心付くと何者かが火を消すような気配がする。ハテナと思って、横になったまま、ソット窺って見ると、側に番をして居た筈の狼が居ない。怪しんで猶見て居ると、やがて狼は帰って来たが、川に浸って来たのか、全身ヅクヅクで、強く毛振いしては火を消して行っている。これは愈々怪しいと見て、次に狼が又川へ往った間に、ソッと漁用のビクに手拭で頬かむりをさせ、着物をぬいで其下につけ、丁度人の寝て居る形に拵えて、其身は手早く火縄に火をつけ、火筒を取って、ひそかに近くの木の下に擧ぢ上り、獣の様子を窺って居た。それとも知らず、狼は猶度々川に往復し、スッカリ火を消してしまうと、寝た人の喉首目掛けて、猛然と噛付いて振廻した。そして同時に、ドンドンと鳴響く樹上の銃声と共に、一声高く叫んで倒れてしまった。彌重郎は、ヤレヤレ命拾いしたとて、喜んで家に帰った。
 ところが、その年に、地方で悪病が流行だした。誰言うことなく、是は『山の神』の使者たる狼を彌重郎が銃殺した祟りであるということになり、神林家に誓い例の川の邊に、祠がたち、狼の亡霊が祭られた。其祠を『狼の宮』といい、川邊(かわのほとり)であるからカワドリ社と申して、神林氏一族が崇敬者の中心となり、昔は多くの参拝者もあり、盛に祭典が行われた。
 狼の宮は、今は無各社で、表面の祭神は山の神たる大山祗の命となっている。
 (平井久五郎、西良市)
● 三省医者と狐 吉野郡下北山村桑原
 昔、下北山村の佐田、ワタシノサカという所に、三省という医者が、何れよりか来て住んでいた。其邸外のイノ谷の小瀧の上に、大木があって、その空洞に多くの狐が棲んでいた。その頃、村々に多くの病人が出て、外の医者にかかっても直らぬのに、独り三省医者にかかると、忽ちに全快した。
 村人が、誰言うことなく、三省は狐使いで、狐を使って病人を拵え、自分の利益を図る者だと言い出した、其うち、正月廿六日の隣村上桑原・狼宮の祭礼に、三省医者が参詣したのを、折よしと村々の若者共が相談して、公開の賭場に誘い込み、車座になって余念なくやって居る所を見計らい、突然うしろから羽織を打かぶせて引倒し、縛り上げて官に訴え出た。
 その後、病人は果して熄んだが、今度は到る処に狐つきが多く出来た。 是はテッキリ三省の使っていた狐が主人を失い、食物に離れた為に、人について仇をするのだろうと云うて、村々協議の上、伏見から稲荷様を勧請して祭ることにした。
 ところが、社地を何処にしようかと、色々詮議の末、其頃丁度、上桑原と下桑原との界の山林の持主が、尾と尾との境界争いをして居たので、其係争地を稲荷神社の社地と定めたという。(平井久五郎、西良市)

● 庄士大明神 吉野郡下北山村下桑原
 南天王の臣に、野上、松川、湯浅、河瀬川、小原、芋瀬、中津川、玉の八庄士があった。その中の一人が敵に追われて、下北山村に逃げて来、小口の『庄士が窟』にかくれたが、敵のために取囲まれて、逃げることが出来なくなった。
 その折に、橋之爪又左衛門という郷士があった。嘗て七日七夜の祈祷で、化物を退治し大小井村を開拓したという人である。この人が庄士のために、郷族を引連れて、敵を防いで居たが、その甲斐なく、庄士は自害したので、其骸を取隠して、小口の後ろの欅の木の下に葬った。其後橋之爪家では、庄士をその山に祀って、庄士大明神と稱へ、十二月一日を祭日として、子孫代々之を祭ることとなった。その庄士の劍という者も、橋之爪家に寶物として傳へられている。
 或時、橋之爪又左衛門は此寶劍を佩びて、熊野方面視察へ出かけ、熊野の有馬松原を行く途中、或松の木の下に一休みしたが、どうしたことか、其場に寶劍と烟草入とをおき忘れて立った。
 そして或所まで行って気がつき、急いで引返す途中、旅人に会ったので、又左衛門は、
「さっき、道端の松の木の下に、劍をおいて来たのだが、気がつかなかったか。」と尋ねると、
「劍は見えなかったが、或松の木に、蛇が青蛙をくはへて上りついているのを見たので石を打ったけれども、下りて来ず、梢高く上って行った。」
「あゝさうか。それで宜しい。それが、寶劍とびろうどの烟草入だ。」
といひ乍ら、元の所に還って見ると、松の木の下に置かれた儘の寶劍と、青い烟草入とがあったという。
 この寶劍のつかには、今もその時の石の痕というのが残っている。
  (平井久五郎)

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