● 百螺岳と餅飯殿町 吉野郡黒滝村鳥住及奈良市
 吉野山の西南二里、海抜二千八百余尺の半腹に、大峰山の中興理源大師開基の鳳閣寺という真言宗の古刹がある。大法螺貝と蛇骨が、随一の重宝となっている。役行者が大峰山上を嶽開山後、約二百年の頃、山中の阿古瀧に大蛇が棲み、しばしば危害を加え大峰の霊場も荒廃に帰した。
 そこで、理源大師は、勅命を受け、奈良居住の先達で武勇に富む箱屋勘兵衛を供に連れて百螺山上に来り、法螺が淵で垢離をとり、百螺岳に登って、大螺を吹き鳴らして祈祷を行われると、その音は百螺を一時に鳴らした如であったから、山を百螺岳という。
 さてその響きに揺り動かされて、大蛇は洞を出てこの山に向かって来たが、そこを大師は法力を以って呪縛し、箱屋勘兵衛は大鉈を揮って、容易く両断した。是で大峰登山の道も再開された。寺宝の法螺と蛇骨は、このときの物である。螺は長さ一尺二寸、胴位一尺八寸余、蛇骨は背椎柱骨第三節まで附着、長さ八寸余の頭蓋骨である。
 奈良に餅飯殿(もちいどの)町というのがある。箱屋勘兵衛の居住地だが、勘兵衛が、奈良から鳳閣寺へ、理源大師の御機嫌伺いに参上の都度、大師好物の餅飯等を持参したので、大師は勘兵衛を『餅飯殿』(もちいひどの)と戯に呼ばれた。それから此町名が出たという。 (吉崎翠溪)
● 伯母ヶ峯の一本足 吉野郡上北山村
 吉野郡上北山村から北方、川上村に越える境上に、伯母ヶ峯という大きな峠がある。昔の峠は今のより、猶東方の遙高い所に通じて居た。
 昔、射馬兵庫という武士が、峠の南、天ヶ瀬に住んで居た。毎日、斑犬をつれて、山狩をしていた。或る日、又伯母ヶ峯の奥深く分け入ると、けたたましく犬がほえ出した。見ると、谷間の熊笹がひどく揺れて居り、やがて熊笹のやぶそのままが谷を渡って駈け出した。それは背に熊笹の生えた猪であった。
 犬は、大層名犬であった。流石の怪獣も、遂に次の場所で吠え止められた。兵庫は、隙かさず矢壷をねらって、轟然と打ち込んだ。猪は、それにもひるまず、牙を鳴らして犬に向かい、更に転じて人を襲い、二発、三発のつづけ打ちにに傷ついて、益々荒れ狂ったが、遂に精根つきて斃れてしまった。
 それから幾日かの後、紀州湯の峯の温泉に、足を傷めた一人の武士が、入湯に行った。そして宿の主人に、
 『静かなハナレの座敷を貸して呉れ。わしの寝て居る時は、誰も来てはならんぞ。又決して座敷をのぞくのではないぞ。』
と云いながら、室に入った。
 やがて、亭主が其客の履物を片付けに出ると、不思議な事が一つあった。客の草鞋が藤蔓で作ってあるばかりか、その形が、とても人間のものではない。不審に思い乍ら、兎に角取り片付けようと、其草鞋を手にさげると、紐が一筋宛、桂の根を持ち上げて、礎の上に固くおさへ付けてあった。
 数々の不思議に、亭主は夜もねむられず、夜の明けるのを待って、ひそかに彼の室を覗いて見ると、座敷一ぱいの、背中に熊笹の生えた怪物が寝て居った。
 其内、離れ座敷の客が目をさまし、亭主を呼んで、いう事に、
 『昨日呉々も止めて置いたのに、姿を見られて是非もない。わしは、北山の天ヶ瀬奥の伯母ヶ峯に、久しく棲んで居り、此程天ヶ瀬の射場兵庫という者にうたれて、あへなくなった猪笹王の亡霊であるが、誠に無念でたまらない。彼の兵庫は敢て恐ろしい人間ではないが、彼が持つ溝筒の鉄砲と、連れた班犬だけは、如何にも邪魔になる。願わくば、あの犬と鉄砲とを、わが手に入れたいから、何とか世話をして呉れまいか。』
と云う。
 遂に、土地の役所から、天ヶ瀬の射場兵庫に使者を立てて、交渉されたりしたが、兵庫は固より之を聴かなかった。
 その後、猪笹王の亡霊は、一本足の鬼と化して、伯母峯に現はれ、旅人を取りはじめた。それが為に、東熊野街道は、遂に廃道同様となり、人々は大いに迷惑した。
 其後、丹誠上人が、今の伯母峯の地蔵尊を勧請して、この鬼神を封じ、今の経堂塚に経文を埋めて、再び旅人の通れる様にした。但しこれには一つの条件が付く。毎年十二月二十日だけは、鬼の自由に任すと云うことである。それ故、今も『果ての二十日』だけは、伯母峯の厄日とされて、警戒されるのである。
 今も天ヶ瀬には、射場氏の家宝溝筒の鉄砲を納められた小さな社がある。
 (泉本幸七)
● 又1(伯母ヶ峰の一本足) 吉野郡上北山村白川
 伯母峰の一本足については、又少し異なった伝えがある。
 昔、大阪落城の時、沢山の落人が、北山の村に入込んで土着した。一本足は其土着落人の開墾なども、大いに妨害した。落人の一人弓場兵庫守が、猟に出て一匹の大猪に会った。是が彼の一本足の化けた者であった。兵庫守は鉄砲を持って戦ったけれども、丸は尽き力はなえ、鉄砲をすてて木の上に逃げのぼった。ところが不思議にも、すてた鉄砲が、ひとりで猪と闘い出し、丸も込めてない者が鳴出して、猪の片足を打った。猪はそれで姿をかくした。
 其後、一本足は人の姿になり、熊野の湯ノ峰に傷の療治にゆき、そこの湯主に、あの北山の天ヶ瀬の鉄砲を買い取ってくれと頼んだ。湯主の知らせに従って、兵庫守は、後に化け物と出会うと、化け物は非常に兵庫守を恐れた。それで兵庫守は、化け物に、一年中の『はて八日』の日だけは、伯母峰に出よ、其他はどこかへ引込んで呉れ、と言い付けて別れたと云う。(新谷眞一郎)
● 又2(伯母ヶ峰の一本足)
 名高い伯母峯の一本足という鬼は、初め其姿を見た者がなかった。或時、峠の南の上北山村大字小橡の猟師某が、其姿を見付けたが、何やらと云う野獣であった。猟師は其時之を打って、一方の足に中てた。是から一本足になった。其後、一本足は毎夜小橡に出て、田畑其他を荒しまわった。猟師は間もなく病んで死んだ。
 其うち北山村の一人の男が、兵庫縣の有馬温泉に養生に往っていた。其宿に、一人の大きい肌の白い男が泊まっていて、オレの入浴する時には、誰も入れるなと云って、独りだけ浴室に入った。他の客が怪しんで窓から覗いてみると、意外にも人間ではなく、何やらという野獣の姿であった。全く、足を打たれた一本足が療養の為に往っていたのであった。
 姿を見あらはされたので、野獣は怒って云うのに、オレは北山のかりうどの為に、足を打たれた者だ。是から帰って、北山村を黒土にしてやるのだと云う。泊まり合わせていた北山の男は、大いに驚いて急いで村に帰り、村人に話した。村人達も驚いて、そんな事のないように、小さなほこらを作って、一本足を慰めた。其祠は今も小橡に在る。(小西丈夫)
● 又3(伯母ヶ峰の一本足)
 伯母ヶ峰の『一本あし』のことは、広く吉野中に聞こえ渡って居るが、其怪物の前身は古猫であったとの伝えもある。
 伯母ヶ峰峠から三里ほど北の柏木という在所に、昔、腕力も人に勝れた上に、鉄砲の極めて上手な栄造という猟師があった。或歳の晩、名残の猟にゆく為、其鉄砲丸を造っていた。鋳鍋を炉にかけ、鉛の棒金を溶かしつつ、造出した丸を、次々と炉辺の板の上に転がしてゆくと、其都度、傍らに居た飼い猫が、チョッと触ってみて居る。栄造は気付かずにいたが、次の間で糸を紡いでいた老婆が之を認めて、不思議に思い、あとで栄造に此事を話し、どうも怪しいから、明日の山行には、隠し丸を忘れぬように持ってゆけと注意した。
 隠し丸というのは、鉄砲丸に『南無阿弥陀佛』の六字の名号を刻みつけた者で、如何に下手に放しても、必ず命中するが、併しこれは、猟師一代に唯一個一回より使用できず、且この丸を使った以上は、其日限り鉄砲持を罷めねばならぬ作法になっている。栄造は、夜分造った三十余個の丸に、母が注意の隠し丸を加え、多量の煙硝や食物等を携え、数日がけのつもりで、怪物の出ると言い伝える果ての二十日、『よなかおき』して、伯母ヶ峰の山奥へと分け入った。
 ところが、此日に限って、兎の子一匹も見付からない。栄造は退屈して岩角に腰かけ、煙草を吸うて居た。すると、時刻は日中過と思うのに、俄にあたりが薄暗くなって来た。ハテナと思う所へ、つづいて山鳴りがしてきた。是はただごとでないゾと、鉄砲を引き寄せて其方を見つめていると、忽ち山中に響き渡るような哮声が起こり、一匹の古猫の姿が現れた。視ると其家の飼い猫である。さてはと直に筒を構えて、ねらい打ちをしたが、どうしたものか、幾ら打っても一つも手ごたえが無い。遂には前夜造った弾丸の全部を打ち尽くしてしまった。此時、猫は一声高くたけり立って、猛然と栄造に飛びかかろうと身構えた。蓋し昨夜栄造の傍らで、其造った弾丸を数え知ったからである。そこで栄造は、絶対絶命、最後の隠し丸をこめて更に打ち出すと、さしもの怪猫も、物凄い唸り声をあげながら、山奥さして逃げ込んでしまった。
 栄造は、是で危難を免れ、其日限り猟師をやめた。村では栄造の鉄砲を申受けて庄屋に托し、村の守りとして大切に保存した。毎年果ての二十日に取り出して改めてみると、此日に限り鉄砲は、ヅツクリ汗をかいていると云う。(吉崎翠溪)

● 鍋割れ塚 吉野郡上北山村河合
 大台ヶ原山に源を発する小橡川と、一本足で名高い伯母ヶ峯より流れ来る西原川の合流する処、即ち文字通りの河合は、戸数二百にも足らない一部落だが、この地方の政治は勿論、交通其他の中心地をなして居る。北山橋を渡って、老杉生い茂る鎮守の森、八坂神社の境内に、部落の開拓者宗介翁の小祠がある。
 河合の住民は、鎮守に詣でると、必ずこの祠にも拝礼を忘れない。
 河合は、もと北方約一里の西山から移った部落である。宗介は今から百五十年前、その西山の猟師で、律儀一遍な好々爺、妻のイトも、亦夫に劣らぬ正直者であった。
 或る年の秋、この里に、夜な夜な怪物が現れて、農作物を荒し、人を取る。住民は極度の不安恐怖に襲われた。宗介は、考える所があって、鉛の弾丸六発と、鉄の弾丸一発とを用意し、鉄砲を持って山深く分け入り、彼処此処と怪物の所在を探ったが、一向見あたらない。遂に道に迷って日を暮らし、疲れて木の根に倒れてしまった。
 幾時かたって、ふと不思議な物音で眼を覚ましてみると、向こうの方から、皿の様な目を光らせた怪物が、宗介の方へやって来る、ハッと思いながらも、直に鉄砲を取って、ころを計り、先づ怪物の目をねらって、鉛の弾丸を一発放った。しかし、弾丸は、大きな音を立てて、はね返ってしまった。続いて一発、又一発、鉛の弾丸は、六発全部打ってしまったが、皆もの凄い音と共にはねかえされた。怪物はいよいよ近付いてくる。流石の宗介も顔色を失った。残るは、鉄の弾丸ただ一発だけである。宗介は一心に神佛を祈りながら、最後の弾丸をこめて打ち放った。
 其とたんに、天地も砕けるばかりの音がした。宗介は、気が遠くなってしまった。暫くして、吾にかえり、あたりをながめて、驚いたことには、七尺ばかりもある怪物が、見事に弾丸に頭を射ぬかれ、目鼻から黒血を出して死んで居る。そして、其かたわらには、米なら三斗もたく事の出来る様な大きな鉄鍋が、真二つに割れて落ち散って居る。怪物は、鍋をかむって、鉛の弾を除けて居ったのに、最後に鉄弾丸をうけて、防ぎきれなかったものと知れた。
 西山一村は、こうして宗介の手によって救われ、もとの平和を回復した。それで、後難を封ずる為に、怪物を懇ろに葬って、塚を作り、鍋割れの塚と呼んだ。今も山行きの者、栗拾い、茸狩りの者などは、皆香花を供えて居る。
 宗介は、其後五年目に病死した。人々は皆泣いて惜しんだということである。
 (泉本幸七)

● 彌山大神の救い 吉野郡上北山村
 有名な大台ヶ原山の東南麓、太平洋岸、紀州北牟婁郡船津村に、六兵衛という漁夫があった。網すきに使うスクリの木をとる為に、三四日がけの用意をして、在所から八九里も離れた、しかも人から一番こわがられている大台ヶ原山中、大蛇狽フもとに分け入った。
 其翌夜、焚火に対して、採り集めたスクリの木の皮を剥いていると、急に襟元がヒヤリとしたので、フと首をあげると、そこに四十歳位の女が一人スックと立っている。ゾッとして未だ口も開かないさきに、女は六兵衛の傍にすわって、
 「御飯を少しおくれ。」
という。そして櫃に残った麦飯を、見るまに食ってしまい、更に、
 「お酒を少しおくれ。」
という。声を聞くと、六兵衛のからだは、只機械のようになって動いた。女は六兵衛の五升樽を取って、人もなげに口づけに飲みはじめた。
 ここへまた、突然同じ年恰好の女が一人、無言ではいってきた。そして、前の女に対して坐ったかと思うと、二人の怪女は、無言のまま睨み合いを始めた。
 其うち、後入りの女は、ツと起こってスーッと外に出ていった、矢張無言のままである。忽ち天地も崩れるかと思われるような激しい震動が起こった。六兵衛は、其場に昏倒してしまった。
 六兵衛が、程経て我にかえってみると、酒の女は消失せ、別に巨身白髭の老人と、彼の後入りの女とが、眼前に立っている。そして、女は初めて口を開いて、
 「六兵衛、心配すンな。我こさ、この大台ヶ原の山の神ぢゃ。前に出たのは鬼ぢゃッた。我は、汝の難儀を救おうと思うて、来たンぢゃッたが、鬼の力が強かッたンで、この彌山大神のお助けを仰いで、汝を救い出したンぢゃ。もう、チョッとも心配は入らンぞ。」
と云ったかと思うと、二神とも其姿を消したと云う。(吉田日出男、泉本幸七)

弥山神社(天川村弥山)
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