● 桜木明神 吉野郡吉野町御園(旧吉野郡中荘村御園)
 象谷<きさだに>というところに桜木明神がある。昔、明神さまが大象にのって天から下ってきて、大谷というところの谷川のほとりにとまった。その谷に桜の大木があったので桜木明神といった。この地の岩かげの中に象の形をしたものがあるので象のうまやという。明神さまは子供に、
 「わたしは、ほうそうをなおす神である。
   わたしを念じると、ほうそうにかからないぞ。」
といった。それからまいるものが多くなり、
 神符を身につけているので、この村ではほうそうで死んだものはないといわれている。
 桜木の宮は、いま、大巳貴尊<おおみきのみこと>(まま掲載・大己貴命と思われる)、少彦名命<すくなひこなのみこと>をまつっている。 (乾健治)



桜木神社
● 閑古鳥の鳴き声 吉野郡上北山村天ケ瀬
 奥山に母娘の閑古鳥《かんこどり》がすんでいた。母鳥は子鳥の餌をさがすため、脚に絣の脚絆をつけて飛んでいった。好物の毛虫などをとるためには、奥山まで脚をのばさねばならなかったが、お午《ひる》近くの餌を持って帰ってくると、家の中に娘の閑古の姿はなかった。母鳥は声をふるわせて、
 「カンコ、カンコ。」
と大声で呼んでみたが、家の中はひっそりとしていて、柔らかい毛が乱れ散っているだけであった。
 「たいへんなことになった。ひとりしかない娘なのに…」
と休む間もなく、その足でまたとび出して、
 「カンコ、カンコ。」
と、息も絶え絶えに、悲哀のこもった呼び声で、山深くわが子の名を呼び続けた。
今も片足に絣の脚絆をつけたまま、わが子を呼びつづけているのだという。
 (福島宗緒)  

● ほととぎすの鳴き声 吉野郡川上村井戸
 兄弟の時鳥《ほととぎす》がすんでいた。ふとしたことから兄が病気になったので、弟はおいしそうな虫を探してきては兄に進めた。弟は、自分はまずい泥や苔や木の皮を食べても、兄においしいものを与えていた。おかげで兄の病気はよくなったが、弟の恩を忘れて、
 「おれが病気の時、今まで食べたこともないおいしい毛虫の子をとってきてくれたが、一たい弟はどんなおいしいものを食べていたのかしら。一つ弟の腹を切り割《さ》いて調べてやろう。」
と考え、よく眠っている弟の腹を切り開いた。しかし、腹の中には泥や苔の外には虫一匹もいなかった。
 「ああ、そうだったのか。」
といくら後悔しても、優しい弟はもうかえってこない。それから兄は、
 「ホッチョン(庖丁)かけた、ホッチョンかけた。弟恋しや。」
となき叫んで、血を吐いてでも、日に八千八声ないて、弟に詫びながら飛びまわるようになった。(福島宗緒)

※ 類似する傳説が遠野地方にもあり、興味深いので掲載します。
 『郭公鳥《かっこう》と時鳥《ほととぎす》』は、遠野の昔話集『聴耳草子』(佐々木喜善著)の「鳥の譚十四話」中のひとつ。次のような物語である。
 むかし、あるところに姉妹がいた。ある日、ふたりは山へ行って土芋を掘り、焼いて食べた。妹おもいの姉は自分は焼け焦げて堅くなったガンコ(かたい皮の部分)を食べ、妹には柔らかいうまいところを選んで食べさせた。だが妹は、こんなうまい土芋なら姉はさらにいいところを食べているにちがいない、と邪推した。妹はそばにあった庖丁で姉を刺し、腹を斬り裂いた。すると姉が食べたのはかたいガンコだけだと分かった。腹を割られた姉は郭公鳥になり、私はガンコばかり食べたのにと、ガンコ、ガンコと鳴いて飛び去った。妹はそれを見て、はじめて姉の慈悲が分かり後悔して泣いた。そして妹も鳥となり、姉のあとを慕って飛んでいった。妹は時鳥になり、ホッチョウカケタ、ホッチョカケタ、包丁かけた、包丁かけたと鳴いて姉のあとを追った。

「聞き書き 菊地カメの伝えたこと 遠野のわらべ唄」伊丹政太郎著/岩波書店より転載


● 大師の杖の木 吉野郡上龍門村栗野
 栗野に大蔵寺というのがある。弘法大師が高野山を開く前に、諸国を巡っていた際、建てた寺だという。其時、大師が全国を持廻っていた杖を、本堂の傍に挿したのが、暫くの中に大木になった。其後、或る不景気の時に、隣村の木挽が之を伐採した。すると中から真赤な血が出て、天に昇っていった。木挽は、それから重い病気にかかって死んだ。人々が恐れて其木のあとにたてた小祠が、今も残っている。
 (池窪秀一)
● 節分の鰯と柊 吉野郡中龍門村
 節分には、イワシの頭を棒の先にさしたのと、メツキバラヒという棘のついた葉のある木の小枝とを、家の内や外の廉々にたてる。是は伯母峰の一本足を防ぐ為である。
 是は中龍門にも近い伯母峰という所に居た女の鬼で、足が一本しかなく、毎年節分には里へ出て来て荒らした者、今も猶生きていると信ぜられている。幼い子供などは殊に恐れ、ソレ、伯母峰の一本足が来たと云われると、直ぐ泣きやむことになっている。(辻茂)
 参照。吉野郡、『伯母ヶ峰の一般足。』

● 三ツ茶屋 吉野郡中龍門村三ツ茶屋
 吉野郡中龍門村に、三ツ茶屋という所がある。昔の伊勢街道の、峠の下に当って居る。
 昔、紀州侯が江戸に出る時には、先づ伊勢参宮して、それから東海道を下る例だった。その時、いつもここまで来ると、是からの峠が急峻で難儀だから、先づ一休みして茶を飲む。そして、馬から釜三つを取おろして使用し、又馬につけて行くのが定めであったからここを三つ茶屋というようになった。(辻茂)

● 津風呂の神 吉野郡龍門村津風呂
 陰暦十月は、日本中の神様が出雲にお集まりになる故、神無月と云う。

大名持神社
 然るに、吉野郡龍門村大字津風呂の神様が、出雲へゆく途中、龍門村大字河原屋の大名持神社の下を通ると大名持の神様は、上から
 『チャピン/\。』
とあざけった。それで、津風呂の神様は、出雲に行くことをやめてしまった。チャピンとは茶瓶で、禿頭のことである。
 それで、お祭は、何処でも陰暦十月にはない者ときまって居るのに、この津風呂だけは現在でも十月にお祭をするのである。
 又、河原屋の神様と、津風呂の神様とは、是以来仲が悪くなり、交際もなくなったという。(廣岡潔)
● 松柿 吉野郡吉野町飯貝
 飯貝の真宗本善寺境内に、松柿という不思議な柿の木が一本ある。昔、蓮如上人が留錫の時、庭の一隅に、松の木があったのを、地上一間位の所から伐って、柿を接がれたものである。今では幹の廻り四尺余になり、毎年二三十個の実がなって居る。それを、寺から西本願寺に送っている。(奥迫信道)
● 吉野の櫻 吉野郡吉野町
 吉野山の開祖、役ノ行者が、本尊蔵王権現を刻まれた木材は、櫻の木であった。それで昔から吉野山では、櫻といえば大切にして、落葉や枯枝でも、燃料にするようなことはない。第一、過って火中する様なことがあれば、本尊を火中することと同様で、必ず佛罰があるといわれている。(仁司郁之介)
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