◎ 動植物の由来
 動植物の起源、または形態其他の由来を説く傳説を列記し、ついでに、生物以外の物に関するのも、一つ二つ附けておく。

● ほとゝぎすの鳴声 (添上郡月の瀬村)
 ホトゝギスは、昔、弟と二人暮らしであった。或日、共にヤマノイモを堀りに出て、弟に先へ帰って煮させた。弟は芋を焚き、「もう、箸たつか知らん。」と思いながら、箸でついてみると煮えて居る。一つ食うてみりゃうまし、二つ食うてみりゃうまし、いッそ我がワケだけは食うてしまへと思って、成るべくツルクビの所ばかりを択って食い、エゝ所ばかり半分を、兄に残して置いた。兄が帰って来て、此様なモミナい所ばかりぢゃあるまい、お前は一人でうまい所を食うたのだろう、と弟を責めた。弟も癇にさわって、
 「其様に疑うのなら、オレの腹をたちわって見よ。」
と云った。
 「ナニッ。」
と、兄はムシャクシャまぎれに弟の腹を割いてみると、中には屑芋ばかりであった。
 兄は大変後悔した。それでホトゝギスは、今も
 「オトゝかわいや、
   ホーロンかけたか。 」
と、毎日八千八声づゝ鳴くのである。そして、若し、人が其途中で口真似をすると、たとへ八千七声まで行って居ても、又初めから八千八声鳴直さねばならない。だから、杜鵑が木に止まって居る時に見ると、口が赤いのも、この鳴きすぎの為、血を吐いているのだと云う。(高田ひさ子)
● 閑古鳥の鳴声 (添上郡東市村)
 閑古鳥は、昔大変な親不孝で、何でも親の言う事に逆った。親が怒って、
 「お前の様な者は、このワシが死んでも、葬式するには及ばん。川へ流すかしてくれ。」
というと、
 「いや、山へ捨てゝやるワイ。」
 「そんなら、山へ捨ててくれ。」
 「いや、川へ流してやるワイ。」
という風であった。或晩に、父が背中が痒いから掻いてくれと云うと、例によって、いやだと云って掻かない。そのうち、父が死んだ。子供も間もなく死んでしまった。閑古鳥というのは、其子の魂の生れ替りで、今も父の背中をカツカワカツカワと鳴くのであるという。(中尾新緑)
● 鳶の鳴き方 (北葛城郡上牧村)
 昔、鳶は、大の親不孝者で、母の言付けには始終反対していた。西へ行けといへば東へ行き、東といへば西と答えて、始末におえなかった。母は大層それを気に病んでいたが、其臨終の際、山に葬れといへば川に埋めるのだろうからと思って、死んだ後は川へ埋めてくれと遺言して息を引取った。然るに、如何な鳶も、母の最後の頼みだからと思い、是だけは其遺言通り川底へ埋んた。それで、鳶は、雨が降ると母の遺骸が流れてしまうだろうと心配し、雨の降りそうな時には、ピンヒョロピンヒョロと悲しそうに鳴き、お天気の時には、ピンヒョロヒョロとさも嬉しそうに鳴くのである。(京谷康信)
● 燕の色と鳴声 (添上郡月の瀬村)
 ツバクロは、昔、ハタビヤで機を織って居た。そこへ親が大病との知らせが来た。ツバクロは、ゆるりとベニカネをつけて、エゝ着物を着て出て往ったが、もう親は死んで葬式も済んだあとであった。
 それで、燕は今も口の中が赤く、嘴が黒く、羽根もツヤが好いけれども、親不孝の報いで穀類は一切食へず、土と虫だけを食いながら、「ツチクテ、ムシクテ、クチシブーイ。」と鳴くのである。(高田ひさ子)
 (註)ハタビヤは機部屋の方言。
● モズの鳴声 (添上郡月の瀬村)
 モズは「シクシク」といって鳴く。前生にモズは、ホトゝギスと博打をうって居た。頻りに負けるので、ホトゝギスが気の毒に思い、『四九』と張れと云って呉れたが、モズは聴かないで、『八九』と張って、又負けた。それで、今もそれを残念がって『四九シク』と鳴くのである。
 又、モズは、蛙、ミゝズ、ドジョウなどを取って、枝先にさす。是は前生の負け博打の借銭を、ホトゝギスに返す為である。ホトゝギスは、上嘴が内へ曲がって居て、此様な『ナマエ(生餌)』は取れないから、モズの返してくれた干物を取って、のみこむのだと云う。(高田ひさ子)
● きつゝきの色と食物 (添上郡月の瀬村)
 きつゝきは、腹が赤い。それで一名『赤前垂』とも呼ばれる。是は、昔きつゝきが機を織っている所へ、母親の急病が報ぜられたのに、きつゝきは、前垂がよごれているからとて、急には立たず、其機を織ってしまって、其新布を前垂に当てゝ出た。それが今も残って居るのである。
 ところが、きつゝきが往った時には、母親は既に死んでいた。此親不孝の報いで、啄木鳥は一生食い物に苦労が絶えない。一日に取れる虫は三つだけと定まり、其一つは日輪さん、一つは親にアゲて、あとの一つだけを漸く我が口へ入れることになるのである。(高田ひさ子)
● 雀の口の黒い由来 (添上郡月の瀬村)
 雀の口は黒い。是は、昔、雀がカネをつけて居る所へ、母親が急病だとの知らせが来たので、口も拭かずに駆付けた。其時のヨゴレが残って居るのである。併し、此よい心掛の報いで、雀は今も年中食物には不自由しない。(高田ひさ子)

● 鳥の死人を予知する由来 (添上郡月の瀬村)
 昔、八掛の本があった。大変よい本で、ナニスレド、カスレド、コハいほど善く合う。
 「こんな、よう合うものは、コハいサカイ、火へアゲよ。」
と云って、火中してしまった。それが二羽の黒い烏になって飛んだ。それが今のカラスである。此のわけで、鳥は明日の事まで知って、死人のある時には、人に予告するのである。(高田ひさ子)

● 春日の鹿 (奈良市)
 春日の神鹿の関節の所には、『さがり藤』の形に白い毛が生えて居る。是は昔、よその鹿と間違って打たれては困るから、春日さんが焼判を捺して置かれたあとである。(高田ひさ子)
● 犬の後足 (添上郡東市村)
 昔、犬の足は、前二本後一本であった。そして、三徳の足は四本であった。
 或日、佛様が、これでは犬は不自由で可愛そうだし、三徳には一本多過ぎると考えられ三徳の足を一本取って三本にし、其一本を犬に与えて四本足にされた。犬が小便をする時に、必ず後の片足をあげるのは、此時戴いた足をよごしては勿体ないと思うからである。
 (註)初め四本の足があった者を、三徳ともいい、又、鍋とも言われる。
 又、こゝに佛様といったものを、弘法大師と傳へる所もある。(中尾新緑)
● 猿の顔と尻の色 (添上郡月の瀬村)
 昔、『伊勢山』が焼けたことがある。其時、猿は顔をつき出して、あぶって居たが、あまり、あつくなったので、向き直って今度は尻をつき出して、あつくなるまであぶった。それで猿の顔と尻とは、今でも赤い。(高田ひさ子)

● 蛙の目 (添上郡月の瀬村)
 蛙は親不孝で、親に何か注意されると、いつも親を睨んで居た。それで段々目玉が後へ廻って、今の様になってしまった。(高田ひさ子)

● 蛇が蛙を呑む由来 (添上郡月の瀬村)
 昔、蛙は『シャベラ』(饒舌家)で、よく他人の世話をやいた。それで、ホタル、ナメクヂ、ミミズ、何やらと蛇と五種の虫が、銘々の食い物について相談にいった。
 「蛙さん蛙さん、私、なにたべまヒョ。」
と、ひとりひとりが順々に尋ねた。蛍には、
 「お前か、お前は露ねぶッとけ。」
ナメクヂには、
 「お前は、垢ねぶッとけ。」
ミミズには、
 「お前は、土食うて、土用のうちに道のまんなかで死んで、蟻のえじきになれ。」
又何やらには、何やらと順々に蛙が答えた。それで、それらの虫は今も其教えの通りにして居る。最後に蛇が出て、同じように問うと、蛙は少々うるさくなって、
 「お前か、ワシの尻なッと、ねぶッとけ。」
と云った。それで、今でも蛇は蛙を見ると飛付いて、尻からくわえて呑むのである。従って、蛇に呑まれかゝっている蛙を見ても、尻からくわえられて居れば、助けてやるには及ばぬが、若し頭から呑まれて居たら、それは約束がちがうのだから、蛇をオコッてやるべきものだと云う。(高田ひさ子)

● 麦のフンドシの由来 (添上郡月の瀬村)
 麦はフンドシをかいている。昔、弘法大師が、カラから、はじめて米と麦とを苗で持って帰るときに、麦苗は、そこらに置くと草と間違えられそうなので、色々考えた末、フンドシの中に挿んで来た。それで今も麦にはフンドシがついて居るのである。(高田ひさ子)

● ワラビ・ゼンマイの腰 (添上郡月の瀬村)
 ワラビやゼンマイは、親不孝で、其命日に精進をしないで、魚を食った。其報いで今も腰が屈んでいる。若いもの程それが甚だしい。子供等が、この植物を見ると、
 わらびぜんまい何で腰かゞんだ。
 親の日トトくてそれで腰かゞんだ。
と囃す。(高田ひさ子)

● ウツボグサの花 (添上郡月の瀬村)
 ウツボグサをママコバナという。昔、『ママ子』と『ほんの子』(実子)と二人ある家があった。母親が外から帰ってみると、二人が米櫃の米を食べていた。母親は、まゝ子を疑って、お前が沢山たべたヤロと云って、口をあけさせてみると、只二粒だけより取って居らず、実子の方は口一ぱい頬張っていた。其子供等が此花になったので、花弁の下唇の内に、米粒のような白い突起が二つあるのと、五つ六つあるのとある。二つの方はママ子多い方はホンノ子であるという。(高田ひさ子)
● 礎石の起源 (添上郡月の瀬村)
 昔、名人の大工があった。家を建てるのに、誤って大黒柱を五寸短く切った。接いだりしては面に拘わるし、切腹せにゃならん事が起こった、と家に帰って嘆いていた。其妻が、傍から、そんなら、下にそれだけの石を置いたら宜しかろうと口を添えた。成程、それはエゝ考えちゃ、イヤ『物も相談』常に何にもならんお前ぢゃと思うたが、間に合う時もあったナァ、と云って、其通り柱の下に石を接ぎ足した。是が『柱の根石《ねいし》』(礎)の始まりだと云う。(高田ひさ子)
(大和の伝説 増補分)

● 閑古鳥の鳴き声
 (吉野郡上北山村天ケ瀬)
 奥山に母娘の閑古鳥がすんでいた。母鳥は子鳥の餌をさがすため、脚に絣の脚絆をつけて飛んでいった。好物の毛虫などをとるためには、奥山まで脚をのばさねばならなかったが、お午近くに餌を持って帰ってくると、家の中に娘の閑古の姿はなかった。母鳥は声をふるわせて、
 「カンコ、カンコ。」
と大声で呼んでみたが、家の中はひっそりとしていて、柔らかい毛が乱れ散っているだけであった。
 「たいへんなことになった。ひとりしかない娘なのに…」
と休む間もなく、その足でまたとび出して、
 「カンコ、カンコ。」
と、息も絶え絶えに、悲哀のこもった呼び声で、山深くわが子の名を呼び続けた。
今も片足に絣の脚絆をつけたまま、わが子を呼びつづけているのだという。
 (福島宗緒)  

● ほととぎすの鳴き声 (吉野郡川上村井戸)
 兄弟の時鳥《ほととぎす》がすんでいた。ふとしたことから兄が病気になったので、弟はおいしそうな虫を探してきては兄に進めた。弟は、自分はまずい泥や苔や木の皮を食べても、兄においしいものを与えていた。おかげで兄の病気はよくなったが、弟の恩を忘れて、
 「おれが病気の時、今まで食べたこともないおいしい毛虫の子をとってきてくれたが、一たい弟はどんなおいしいものを食べていたのかしら。一つ弟の腹を切り割《さ》いて調べてやろう。」
と考え、よく眠っている弟の腹を切り開いた。しかし、腹の中には泥や苔の外には虫一匹もいなかった。
 「ああ、そうだったのか。」
といくら後悔しても、優しい弟はもうかえってこない。それから兄は、
 「ホッチョン(庖丁)かけた、ホッチョンかけた。弟恋しや。」
となき叫んで、血を吐いてでも、日に八千八声ないて、弟に詫びながら飛びまわるようになった。(福島宗緒)

※ 類似する傳説が遠野地方にもあり、興味深いので掲載します。
 『郭公鳥《かっこう》と時鳥《ほととぎす》』は、遠野の昔話集『聴耳草子』(佐々木喜善著)の「鳥の譚十四話」中のひとつ。次のような物語である。
 むかし、あるところに姉妹がいた。ある日、ふたりは山へ行って土芋を掘り、焼いて食べた。妹おもいの姉は自分は焼け焦げて堅くなったガンコ(かたい皮の部分)を食べ、妹には柔らかいうまいところを選んで食べさせた。だが妹は、こんなうまい土芋なら姉はさらにいいところを食べているにちがいない、と邪推した。妹はそばにあった庖丁で姉を刺し、腹を斬り裂いた。すると姉が食べたのはかたいガンコだけだと分かった。腹を割られた姉は郭公鳥になり、私はガンコばかり食べたのにと、ガンコ、ガンコと鳴いて飛び去った。妹はそれを見て、はじめて姉の慈悲が分かり後悔して泣いた。そして妹も鳥となり、姉のあとを慕って飛んでいった。妹は時鳥になり、ホッチョウカケタ、ホッチョカケタ、包丁かけた、包丁かけたと鳴いて姉のあとを追った。

「聞き書き 菊地カメの伝えたこと 遠野のわらべ唄」伊丹政太郎著/岩波書店より


● 蠅と蚤 (吉野郡宗檜村)
 ある時蠅と蚤とが喧嘩をした。蠅が蚤の眼に足をつき込んだために蚤は片目つぶれてしまった。しかし喧嘩は蚤の方が勝った。この喧嘩からはメッカチになって、ピッと飛ぶと、くるッとまわって四方を見てまた飛ぶようになり、蠅はあらん限り拝むから助けてくれといって頼んだので、今で拝んでいるのだという。
  (城戸 堀刀自/吉野西奥民俗採訪録)
● 時鳥 (吉野郡宗檜村)
 時鳥は親不孝であった。それで神様が、八千八声鳴かぬと許さぬことにした。時鳥がよく鳴くのはそのためであるという。その鳴声は「ひょうたんかけたか」、というのであって、人間がその真似をすると、初めからまた鳴きなおさねばならぬということである。(城戸 堀刀自/吉野西奥民俗採訪録)
● カッコウ鳥 (吉野郡宗檜村)
 カッコウ鳥も親不孝な鳥であった。親が背中をかいてくれというのに掻かなかった。その間に親は病気で死んでしまった。それでカッコウは今になって「カコウカコウ」と鳴くのであるという。(城戸 堀刀自/吉野西奥民俗採訪録)
● つばめ (吉野郡宗檜村)
 ツバクロも親不孝な鳥であった。どこかへお嫁に行っていたが、おる時親が病気だという使いが来た。ちょうどツバクロは、オハグロをつけていた。すぐ行けばよいのに、それから着物を着かえて行って、とうとう親の死目によう逢わなかった。その罰で、今でも土や虫ばかり食うていなければならないのだという。
 (城戸 堀刀自/吉野西奥民俗採訪録)

● 鴉 (吉野郡宗檜村)
 鴉はよく物を忘れる。それで忘れてはならないと思って、空を見あげて村雲を目じるしにして物をかくしておくそうな。今度その物を探しに来た時、村雲はいってしまっているので分からなくなって鳴くという。
  (城戸 堀刀自/吉野西奥民俗採訪録)

● 鼠 (吉野郡宗檜村)
 鼠が子を生むと、隣の鼠が喜びに来る。その時、
 「あんたはええ子が出来ましたそうで」と先ずいう。すると子の親が、
 「はい、こんなよい子が出来ました」といって見せる。すると見舞いに来た鼠が
 「長押走るような、桶ひっかぶるような、よい子が出来ましたなァ」とほめるそうである。(城戸 堀刀自/吉野西奥民俗採訪録)

● 鳥の鳴き声 (吉野郡宗檜村)
 夜鷹は「ホイッホイッ」といってなく。不幸な鳥で親を殺したともいわれ、別の名をオヤコロシといっている。フクロウは「ノリツケホーセ」と鳴くという。フクロウが鳴いたら、きっと天気である。(城戸 堀刀自/吉野西奥民俗採訪録)

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