白山中居神社
はくさんちゅうきょ

ご祭神 伊邪那岐大神
    伊邪那美大神
    菊理媛大神 明治年代に合祀

鎮座地 岐阜県郡上市白鳥町石徹白2-48
Google マップ(to:白山中居神社)
由緒 本社の創立は、景行天皇の御宇、十二年6月十五日、吉備武比古、国家鎮護のために祀られたが創始とされ元正天皇の養老年間、僧泰澄白山を開くため、石徹白に来られて、社殿を修め、社域を拡張されて神仏混交の元を開かれました。明治維新になり神仏分離となり、仏像及び年代の奉納品は中在所大師堂に祀り所蔵されております。
 神位は 国内神明帳に、正一位白山大明神と記され、天武天皇、聖武天皇の両朝に 神剱、神馬の奉納があり 御宇多天皇の御代、藤原氏の女神鏡を供進して祈願され、御桜町天皇、青倚門院様より戸張の寄進を賜わっています。朝臣武門では、藤原能信、藤原秀衝、今川義元、織田信長、柴田勝家 それぞれ神宝を寄附して崇敬の誠を尽され、天正十八年には、伊藤秀盛 その主豊臣秀吉の為に立願状を捧げ、徳川家康は代参を遣はされて祈願所とされました。神領は山中六ヶ村、東西三里、南北七里に亙り、慶長年中太閤検地に際し除地、年貢免除とされ 萬延元年 神祇管領卜部朝臣より白山中居大神宮の号奉っております。 神職は維新以前迄、神頭、幣主、祝部、神楽司、社家、社人に別れ世襲して奉仕し信徒は明治中期に至る迄非常に多く、伊豆、駿河、遠江、三河、尾張、伊勢、近江、美濃、飛騨、信濃、越前の諸国に亙っておりました。 
境内神社五社
新嘗社  御祭神 大日霊貴大神 養老年間創立
皇祖美社  〃  磐長姫大神  前に仝じ
須賀神社  〃  素戔鳴大神  前に仝じ
地造神社  〃  大巳貴之大神 前に仝じ
道祖神社  〃  猿田彦大神  前に仝じ
その他 明治三年村社 仝 四十四年幣帛供進神社
    大正十年五月県社
    昭和三十七年金幣社
祭礼 例大祭
 正月三箇日祭
 正月十五日
 五月第三日曜
 七月十八日 創業祭
 十月二十日
(中祭・小祭 省略)
〜境内の立札より〜
 白山への美濃ルートのベースキャンプ地は、岐阜県の長良川沿いの長滝寺で、今の白山長滝神社である。平安時代には六院三十余宇三百六十坊があったという。長滝寺を出発して檜峠、こちらの岐阜県白鳥町の石徹白(いとしろ)の白山中居神社を経て、別山室に至る。別山宮を参詣して、頂上の御前峰に達するルートである。ベースキャンプ地が福井県・石川県・岐阜県の三カ所にあった。白山信仰がいかに広範な地域に渡っていたか理解できる。
 この石徹白という土地は昔から村民一同が苗氏帯刀を許されていて、江戸幕藩体制下ではこの地は天領であった。ここには多くの古文書があり、加賀石川鶴来の白山神社宗社発行の白山比咩神社叢書の中にも、数多くの石徹白に関する古文書が載せられている。
村落民全部が社家であり、各家々は白山登拝のために、この石徹白の宿坊ともなっていて、また白山中居神社の神札を美濃・飛騨はもちろん、駿河・相模・三河・尾張・信濃・甲斐、遠江等の地に配り、白山登拝の講中を募ったり、登拝の案内役、また道中の宿坊の手配等万端滞りなく勤める御師でもあった。
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