石室神社
いろう・いしむろ
 
鎮座地 静岡県賀茂郡伊豆町石廊崎
御祭神 伊波例命 物忌奈命

合祀 十一面観音 大六天神 大国主神 崇徳天皇
  事代主神 梵釈四天王 住吉三神 海神自在青龍王
石室神社は、伊豆半島最南端に鎮座する。
伊豆急下田駅よりバスで約45分、石廊崎港より徒歩約20分で石室神社へ。石廊崎港駐車場に大きな役行者像がある。

 西暦七百年慶雲三年の諸国に蔓延していた疫病を施行中の役行者がこれを憂い、石室権現を始め始萬の祈りを捧げ神佛の加護を身を滅ぼして願い続けたところ、或夜大慈の霊(十一面観世音)が夢に立ち一枚の薬草を行者に授けた。この薬草を山野を走り回り探し出し、病人にあたえたところ、忽ち病気が平癒したという。この薬草というのが「アロエ」で、別名を医者不要と呼ばれている。(案内板より抜粋)
石廊崎港の駐車場からしばらく行くと、真っ白な「石廊崎灯台」が見えた。灯台の入口横に石室神社参道の石柱があり、石畳の小径をさらに進んでいく。

 小径が徐々に細くなり、先でどうなっているのだろうと思いながら進む。大きな岩を回り込む小径から、下り階段に行き当たった。下を見遣ると岩壁にへばりつくように建つ石室神社へ続いていた。
どうやって建てたのだろう。
 東鏡《あずまかがみ》には長津呂崎《ながつろさき》古くは伊豆ヶ崎ともいわれ、伊豆の最南端に位置し、付近の風波も荒く隠れた岩礁も多いことから、昔より航海者の最も警戒する場所のひとつであった。当社はその南端の岸壁に鎮座し長く海上安全、産業振興の神としてあがめられてきた。
 創立は定かではないが五世紀頃に物忌奈命《ものいみなのみこと》を祀る神社として、秦氏により建立されたと伝えられている。その後、役行者《えんのぎょうじゃ》が十一面観音を合祀し、大宝元年(七〇一年)現在の場所に神仏合祀の石室神社を建立した。延喜式神名帳に伊波例命《いわれのみこと》神社、神階帳に従四位上いわらい姫の明神として名を列ねる式内社である。〜石室神社御由緒より〜

例祭日は四月三日。

役行者、前鬼・後鬼他の木造が祀られている。

社殿の様子

社殿の床 ガラス張りで帆柱が確認出来る。
石廊権現と千石船之由来
祭地は相模灘と遠州灘の中間に位し東風西風共に筆舌に絶し又陰れし岩礁多く黒潮近くを走ると云う難所で在る
或る期播州濱田港所属の塩運搬の千石船が此の岬に差掛りし時、折悪く黒雲海面をはい雨は篠を突き波浪は峰渓をなす船は最早転覆有るのみと見られ船主子共になす技も無く一心に見えぬ対岸の石廊権現に向いて無事江戸に着く事が出来得るならば帆船の命で在る帆柱を奉納すると誓願を込めるとさしも荒狂った波もやがて凪いで無事江戸に着く事が出来荷揚げを済し巨富を得て帰途に付く航海日和に恵まれ往路の出来事も忘れ此の岬の沖を過ぎ様とした
社殿の土台
石室神社御由緒より
 だが不思議な事に満帆に追風をはらみ全櫓充分に水をかくも船は一向に進まず坐礁した 如くにてやがて次第に風雨強く狂暴なる暴風雨と急変し船子等の不安は往路の期に増して激しく船主は往路の期の願事に思いを致し木の葉の如く震る船上にて斧を以て、帆柱を切倒し海に投じ石廊権現に奉納されたすると不思議な事に帆柱は荒れ狂う大波の波頭に乗って幾十丈の高き社殿の御前に供えた如く打上けしと同時に波も静まり船は櫓を以て走り去りしと傳えられて居り今直當社殿の基礎となりて此の建築物を支えて居り當社の御神威の高きと共に此の神技を伊豆の七不思議の代表的な神話として廣く風光名美さと共に日本全国に知られて居る
 帆柱材質檜長サ六間 約十二メートル 〜石室神社の掲示額より〜


 民話によっては大波ではなく龍がくわえて神前に供えたとするものや、妻良港《めらこう》で帆柱を新調したというものがある。帆柱の材質は檜で、明治三十四年に建替えられた社殿の土台として、本殿下に三間(約5メートル)拝殿下に六間(約11メートル)使われているのだそう。
御由緒によると「御神宝の鮑貝」があり、神社の建替えに時の名匠が選ばれて建築にとりかかった際、その番匠は精進潔斎して仕事に取りかかったが、足をすべらせ転落してしまった。絶体絶命かと思われたが、番匠は生きたまま無事波間に浮かび上がった。その時番匠が手にしていた鑿《のみ》の先に、大きな鮑貝が突き刺さっており、殻には十一面観音の尊像が浮かんでいたという。これを御神宝として崇め、お祀りされている。

境内社 熊野神社
御祭神 須佐之男命 
縁結びの神としてお祀りされている。


境内社から社殿へ

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