石鎚神社
いしづち
ご祭神 石土毘古命
いわつちひこのみこと
(石鎚大神)
鎮座地 愛媛県西条市西田
Google マップ(to:石鎚神社)

石鎚神社は、神体山として関西第一の高峰、日本七霊山の一つ石鎚山を仰ぎ、この本社、石鎚山中腹の成就社、土小屋遙拝殿、そして石鎚山頂鎮座の頂上社の4社の総称です。御祭神は、石土毘古命(石鎚大神)と申し上げ、所願成就の神として国内外に信仰篤く、特に家内安全、厄除け開運、病気平癒、交通安全の神として尊崇されています。
7月1日より7月10日までの石鎚山お山開きには、本社の御神像三体が、頂上社へと御動座され、夏の香気と霊気に満ちたお山は、頂上社を詣でる白装束の登拝者で賑わい、一千三百有余年の山岳信仰の歴史を今に伝えています。

一ノ鳥居側の案内板より

神門
石鎚信仰の母体、関西第一の高峰霊峰石鎚山(1982メートル)は、一千三百年の昔、役の行者(役小角)によって、開山されました。その後、寂仙菩薩が石鎚蔵王大権現と称えて深く信仰、山路を開き、登拝者を導き、常住社(今の中之宮・成就社)を創立しました。
その後、上仙大師、光定大師等の高僧が、四国八十八箇所第六十番札所の横峰寺、同じく第六十四番札所の前神寺を創立、石鎚神社の別当寺となって、幕末、明治維新を迎えました。と同時に明治天皇の大命により、神仏混淆が禁止され、別当寺が廃止、純粋な神社と定められました。
 しかしながら、現在も永く深い信仰をものがたるかのように、神仏混淆の色が、濃く残っています。

大石社 御祭神 猿田彦命 祭日十月十日
 かつて、弘法大師も石鎚山で修行したと伝えられ、桓武天皇、文徳天皇、武将としては、源頼朝、河野家一族、豊臣家一族の厚い信仰があり、慶長十五年、豊臣秀頼公により、中之宮成就社が御造営されましたが、明治二十二年の火災により焼失しました。(現在の成就社は、昭和五十五年十一月十三日、災禍にみまわれ焼失、昭和五十七年六月二十日に復興、御造営されました。)また、寛文年間よりは、西条藩主、小松藩主の信仰、特に厚く、社殿の修理、神器、神宝の奉納が数々ありました。
 明治初年、明治天皇の大命により、神仏混淆が禁止された当時、石鎚神社は、県社の社格に列せられていました。その後、第二次世界大戦の終了と共に、全国の神社は、信教自由の見地により、神社本庁に包括される宗教法人となり石鎚神社は、従来の官国弊社と同格の別表神社という待遇を受けました。これと共に、石鎚信仰の「神仏混淆」という特殊性等を生かすために、石鎚神社の傘下宗派として、宗教法人石鎚本教を創立しました。これにより、神社のみでは、発行できなかった教師免状や、教会設立の便宜を図ることができるようになり、国内はもとより、遠く海外まで信徒、崇敬者の輪が広がり、神社、本教一体となって発展し、現在に至っています。
〜平成祭データより〜

拝殿
 石鎚神社は石鎚毘古命(いわつちひこのみこと)をお祀り申し上げています。
 石土毘古命もしくは、石鎚毘古命とも申し上げ、伊邪那岐命 伊邪那美命の第2番目の御子にあたります。
御祭神は石鎚毘古命御一神ですが 御神徳を表すため 三体の御神像をお祀り申し上げています。
玉持(たまもち)の御神像
(和魂、にぎみたま)仁の御神徳を表します。家内安全、病気平癒を守ります。
鏡持(かがみもち)の御神像
(奇魂、くしみたま)智の御神徳を表します。農業、工業、商業、漁業、各事業の繁栄、学業の成就を守ります。
剣持(つるぎもち)の御神像
(荒魂、あらみたま)勇の御神像を表します。勇気、忍耐をすすめ、悪事を除き、危機を守り、厄除開運、諸災消除、交通安全を守ります。


霊峰・石鎚山 総本宮 石鎚神社のパンフより

三倍神社
祭神 素戔嗚尊 
相殿 言代主神 伊藤八郎平霊

 三倍神社は慶長年間土佐の国より、石鎚山山麓西条市中奥大字今宮に勧請す。産土神として氏子の崇敬を受けしが過疎により氏子離散の為に氏子等総意を以て合併を決議石鎚神社の承認を得て昭和五十八年十月九日この地に奉遷す。

石碑より


三倍神社

方違社 御祭神 歳徳神 祭日一月三日


境内の役行者像

祖霊殿
祖霊殿 御祭神について
 この祖霊殿は、石鎚山開祖の祖、役の行者をはじめ、別当寺時代の前神寺、横峰寺の主管者、及び明治維新神仏分離以後の石鎚神社の。祀宮、社司、社掌宮司をはじめ神社職員、そして先達(石鎚信仰者)の物故者(亡くなられた人)の神霊をお祀りする御殿です。
霊峰石鎚山を崇拝し、支えてこられた私達の御霊をお慰めすることは私達の勤めであります。


お社横の案内板より
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