伊豆山神社
いずさん
御祭神 伊豆大神
(火牟須比命、伊邪那岐命、伊邪那美命)
由緒書きによる
伊豆大神(正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊、
拷幡千千姫尊、瓊瓊杵尊)

鎮座地 静岡県熱海市伊豆山708-1

JR熱海駅からバスで伊豆山神社前へ
(伊豆山神社行、又は七尾行)約7分。

 階段が続く参道。伊豆山神社前バス停の市道から、本殿まで189段。参道のほとんどが石段で、伊豆山浜から数えると、本殿前まで837段になるのだそう。熱海は温泉地として有名。伊豆山神社は、古来伊豆大権現、又は走湯(はしりゆ・そうとう)大権現、伊豆御宮とも走湯社とも称され、略して伊豆山又は走湯山と呼ばれていたが、明治になって現在の社名に改称された。
 社伝によると当社は最初、日金山頂(十国峠・万葉集にいう伊豆の高嶺)に鎮まり、次いで本宮山に移り、さらに三遷して現在地に遷祀したと伝えられる。古くから「走り湯」の名で呼ばれた湧出量の多い温泉の霊験を神と祀ったものであろう。延喜式内の火牟須比命神社は、当社のこととされている。
 中世以降は走湯山権現・伊豆山権現とも呼ばれ、また箱根神社とともに二所権現とも並び称された。特に源頼朝の崇敬が篤く、平治の乱の後、平家の手により伊豆の蛭ヶ小島に配流の身となっていたが、源家再興のことを当社に祈願し、後に鎌倉に幕府を開くに及んで、幕府最高の崇敬社として、関八州総鎮護とされた。鎌倉時代を通じて歴代将軍の二所詣は恒例となり、源実朝は「伊豆の国や山の南に出づる湯の速きは神の験なりけり」の一首を『玉葉和歌集』に残している。江戸時代には朱印領三百石を寄進され、明治六年(1873)に県社、昭和三年(1928)には国幣小社に昇格した。例祭は4月15日。

摂社 雷電社(若宮)
摂社 雷電社(若宮)
御祭神 伊豆大神荒魂
  雷電童子(瓊瓊杵尊)
例祭日 三月十五日
御由緒
 創立年代は不詳。吾妻鏡に「光の宮」と別名があり、鎌倉幕府三代将軍源実朝が再興しそののち、暦応四年に足利氏が、慶長十七年に徳川二代将軍秀忠が改築、現社殿は昭和十年に内務省によって改築。政治を司り導く神として、源頼朝を始め歴代の将軍家の崇敬が篤く、室町時代には全国に多数の社領を有していた。御神徳 事業、経営、商売繁盛、心願成就、良縁成就、家内安全、夫婦円満、子孫繁栄など。
末社 役の小角社
 (足立権現社・あしだてさん)
御祭神 役の小角(神変大菩薩)
例祭日 7月1日

 


末社 役の小角社(足立権現社・あしだてさん)
御由緒
 役の優婆塞《えんのうばそく》ともいう、欽明天皇六年(西暦六三四)大和の国葛木上郡に生まれ、神仏両道に渉り行を積み深く学を究め孔雀咒法を修習、奇異の験術を証す。また日本国中の名山高山を開き登り、修験道の祖とも、開山の祖とも仰がれる。文武天王御宇、捕らえられて伊豆大島に流されたが、昼は皇命を慎み、夜は飛行の術を駆使し、当伊豆大権現に飛び来て修業を重ねたと伝える。大島に在ること三年、大宝元年勅命を以て許され大和に還ったが、遂に仙人と化って唐に光格天皇の寛政十一年(一七九九)その神徳を讃えられて、神変大菩薩の神号を賜う。当社は運命開拓の神なり、また古くから足の病に悩める者足腰弱き者、祈願致さば神護を享けて強足になるという信仰がある。

末社 結 明神社
 
末社 結 明神社
  むすぶ みょうじんじゃ
御祭神 結明神(日精・月精)
御由緒
 結明神の本社は、子恋いの森公園上(七尾)むすぶ平に鎮座す、その里宮として是の所に祀る。走湯山縁起によれば景行天皇の三十一年、久地良山(日金山)に大杉有り、その中より一女一男が出生した、時に初島・初木神社の御祭神初木姫が二子をとりて養い育てたが、時を経ずしてたちまちに成長し、一女を日精と号し、一男を月精と号した。後に二人は夫婦となり日金山に仕えて「伊豆権現氏人之祖」となったと云う。日精・月精その終没を不知(富士山)から神上がったと記され、後の人たちにより結明神として仰がれ祀られたと伝える。御祭神は男女の縁結びを叶えて下さる神様で、古くは一名恋祭りと云う神事があり、各地から集まった若い男女の参列を得て行われていたことが伝えられている。
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