上小倉神社
かみおぐら
御祭神 手置帆負命
(配祀) 彦狭知命
皇大神
(合祀) 誉田別命
伊弉諾命
伊弉册命
須佐男命
崇徳天皇
子守勝手神
鎮座地 和歌山県和歌山市下三毛508
Google マップ(to:上小倉神社)

拝殿

本殿
 広い境内に史跡が多く残る。
 和銅年間(708-715)の創祀とされ、大工の神と称されたという。

 天正十三年(1585)羽柴秀吉の紀州攻めにより焼失したが、慶長年間(1596-1615)に再建されたという。明治四十三年(1909)諸神を合祀して、上小倉神社と称したとされる。

夜泣き石(右=男石、左ー女石、前=屏風岩)
 昔、新庄山の半腹に立派な蔵王権現のお社が在り、その境内山の入り口に置かれていて袂石(たもといし)といわれたのがこの一組の石です。この石は天正年間に光恩寺を開山された信誉上人(しんよしょうにん)が、その一つ(男石)を同寺に持ち帰り据え置いたところ、残されたもう一つの石(女石)が夜な夜なすすり泣きをするようになったと云う。
 信誉上人はこのことを伝え聞いて心を痛めさっそくもとのところに安置致しました。すると夜ごとのすすり泣きが止んだと云うことです。そんなこともあってでしょうか、土地の人々には結縁石(けちえんいし)なまって、けっちん石とよばれ、子授けに霊験あらたかだとかで「子授け石」などとも云われるようになりました。その後、明治末期 神社合祀の際にこの一組の石は同神社に移されもう決して離れることもない夫婦石となったということです。
天延記念物一葉松跡
 凡、松葉は二本であるが、此の木の松葉は一本の丸い派手学問上も非常に珍しくその昔、後鳥羽上皇が熊野参詣の砌り、吐前王子社に宿泊中、歯の痛みに悩まされて、園より夢で当神社に立ち寄るようお告げがあり、此の松の葉にて歯痛を治されたと云う故事から「歯治しの宮」と云い伝えられて界隈の信仰を集めたと云う。後世、はなしの宮 或いは はだしの宮となまり伝えられる。
樹齢推定七百年昭和四十五年老枯す。 
 上小倉神社

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