鎌八幡宮
丹生酒殿神社 境内社

鎮座地 和歌山県伊都郡かつらぎ町三谷
Google マップ(to:鎌八幡宮)
 

 もと兄井村の産土神であったが、明治四十二年に(1909)現かつらぎ町三谷の丹生酒殿神社に合祀された。元熊手八幡宮とも称された。社殿はなく、イチイの大樹を神体としていた。天保六年(1835)三月の仁井田好古撰「三谷荘兄居村鎌八幡記」によると、当社の神体は神功皇后が三韓出兵のとき用いたという幟と熊手で、讃岐国屏風浦(現香川県多度津町)に祀られていたが、空海が高野山を開いた時、ついてきたため、イチイの木を憑り代として祀ったという。

 鎌八幡の名称について「続風土記」に「祈願の者 鎌を櫟<イチイ>樹に打入れ是を神に献すといふ。祈願成就すへきは其鎌樹に入ること次第に深く 叶はさる者は落つといふ、根より上二丈許の処鎌を打つこと簑のことく寸地の空隙なし、鎌の深く入るものは樹中を貫きて芒刃外に出る事一寸余もあり、実に奇といふへし、其鎌は大小好に従ひ社前に売ものあり、祈願の者或は一時に千挺も打者あり、然るに其木鬱蒼として繁茂す」 と記す。

 江戸時代は高野山から鎌八幡宮神酒料として大豆六斗が給された。神体の幟と熊手は永く高野山に祀られていたが、明治二年当社に遷座し、同四十二年丹生酒殿神社に合祀された際、同社に納められた。「三谷荘兄居村鎌八幡記」を刻んだ石碑も丹生酒殿神社の社前に移されている。

 讃岐の国から高野山へ、空海さんの後をついて来たという幟と熊手(鎌)が丹生酒殿神社に納められているという話も奇譚であるが、憑代のイチイの木に鎌を打ち入れるという祈願の方法もまた奇譚である。

 祈願成就に刺してある新しい鎌を発見。
その願いが成就するときは、次第に深く突き刺さるが、叶わないものは落ちてしまうのである。周りの刃をよく見ると、深く奧まで入っている。柄は風雨に晒されて自然と抜け落ちたのだろうか。刃は錆びているものの、深くしっかりと木に突き刺さって残っている。

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