急な石段が続く。
神倉神社
かみくら

御祭神 天照大神
高倉下命
鎮座地 和歌山県新宮市神倉山
Google マップ(to:神倉神社)

 
 神倉山(120m)山頂に鎮座されています。「ごとびき岩」という山上の巨厳を神体岩として祀るところから、磐座信仰から発した神社と考えられます。
 神倉神社は、熊野速玉大社の摂社です。神代の頃、神倉山に祀られ景行天皇の58年(128年)に今の鎮座地(新宮市新宮)に新しく境内、社殿をつくって遷られたので、神倉山の旧宮に対して、熊野速玉大社は新宮と称します。

 神武天皇が御東征の途次、熊野の地へ回られたときにその地に住む山の荒ぶる神の毒気にあてられて気を失ってしまわれました。そこへ高倉下命が神剣を献ぜられたところ、天皇も兵士も目覚め、その剣で敵を平らげることが出来ました。
 そこで天皇が高倉下命に、その剣の由来を問われると、高倉下命は「天照大神と高木の神(高御産巣日神)の二神が、建御雷神に『葦原の中つ国がひどく騒がしく天の御子たちが困っているから、降って行ってほしい』と仰せになると、建御雷神は、「私の代わりに国を平定するとき使った剣を降ろしましょう」と仰せられそれから建御雷神が自分に向かい、『目覚めたらこの剣を天つ神の御子に奉れ』とおっしゃられたところで目が覚めました。そこで倉へ行ってみますと、本当にこの剣があったので奉ったのです。」と答えました。
 この剣は布都の御魂といって、石上神宮に奉納されたと記紀神話には記されています。

ごとびき岩。「ごとびき」はカエルのこと。
 天磐盾は神倉山(県指定史跡)に比定され、この伝承から高倉下命を祀るようになったと思われます。祭神高倉下命は建国の功臣で、熊野祠官(宇井、鈴木、榎本)の祖神です。

 その後、熊野信仰の隆盛に伴い、神倉山は熊野権現の降臨地とされ神倉神社は、熊野速玉大社奥院といわれ、熊野根本神蔵権現とも称されました。
 お灯祭(2月6日夜)は、神倉神社の例祭で、白装束に縄帯の祈願社(女人禁制)が松明をかざして石段の急坂を駆け下る天下の奇祭で、壮大な火祭りとして知られています。
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