笠山荒神鳥居


笠山荒神社
かさやまこう
(笠山三宝荒神)
   
鎮座地 奈良県桜井市笠
 
 三宝荒神由来

 【本籍】「三宝荒神祭文(空海)」
 【現住所】かまど
 【続柄】文殊菩薩、不動明王、歓喜天、十羅刹女の変化神
 【愛称】荒神さま
 【別称】三宝普賢大荒神、清荒神
 【専門】火伏せ、福徳、除災


笠山荒神拝殿
 最近ではどの家も文化生活?になってしまって、パチンとスイッチを入れれば寝ている間にご飯がたけてしまうご時世になってしまったので、荒神さまも所在がなくなってしまいました。
 むかしは年の暮れになると、どこのうちでも“かまど”のすすをきれいにはらい、まわりを掃除して荒神さまのお札をおまつりしたものです。まいにちのご飯をたくところで主婦の実権の象徴的な存在であった“かまど”もこんにちではガスレンヂにかわってしまいました。

 一般には荒神さまはかまどの神さまとしてまつられていますが、荒神さまとかまどのむすびつきは、荒神さまが不浄を忌む神さまなので、つねに淨いところにおられると考えられました。火はすべてをやきつくしてきれいにするところから不浄をはらって清浄なものであり、神聖なものと考えられました。その火があるところは家庭にあっては火を燃やすかまどがそれにあたるわけで、そこから、かまどと荒神さまの結びつきができました。
 また、荒神が竈神の音便になまって、竈の神さまというようになったともいわれています。これはだいだい中世以降の陰陽道の民間信仰と深くかかわっています。

 陰陽家では、土祖神、(さんずい)+奥津彦命、(さんずい)+奥津姫神の三神を荒神としておまつりしていますが、仏教系の荒神はまた別です。
 もちろんお経の中には荒神さまは登場してきませんが、修験道で役行者が金剛山で祈っていると艮(北東)の方に赤雲が幢のようになびいていたので、そのところにいってみると、宝冠をつけた六つの腕の神人がいました。右の手には独鈷、蓮華、宝塔をもち、左の手には鈴、宝珠、羯磨杵をもっていて、小角に告げて云うのには、「われはこれ三宝衛護の神として、世に呼んで荒神という。われつねに淨信修善の者をたすけて不信放逸の者を罰す、ゆえに人は荒乱神といへり…」そこで小角はその地に祠をつくってまつったということです。

 また、東大寺を建てるとき、工事にけが人がおおく出て聖武天皇はこれを悔やまれていました。そのとき「伽藍を建てるならば七岫七谷峰の荒神をまつれ」というお告げがありました。さっそく良弁僧正が鷲峰山に祈って、東大寺が完成したということです。
 このときあらわれたお像を良弁僧正が画にかき、のちにそれを弘法大師が木造にしてまつりました。それが大和竹林寺の荒神であるといわれています。
 またこの三宝荒神と歓喜天とが同体でその本地は金剛薩土た(土+垂)であるとして、仏法を守護するとともに病悩賊難がのぞかれ夫婦和合し子宝がめぐまれるという信仰もありますし、密教寺院では寺院建立のときにおまつりして伽藍の安泰、仏法守護を祈っています。日蓮宗では「普賢三宝荒神」としておまつりしているのですが、日蓮聖人の『御義口伝』に「三宝荒神とは十羅刹女のことなりいはゆる飢渇の神、貪欲の神、障礙の神なり、今法華経の行は三毒即三徳と転ずるゆへに、三宝荒神にあらざるなり、荒神とは法華不信の人なり、法華経行者の前にては守護神なり」と、十羅刹女を三宝荒神といっています。
 法華経の陀羅尼品及び、活発品に、普賢菩薩も十羅刹女もそれぞれ法華経を受持ちする行者を守護するということがとかれていますが、これがやがて普賢菩薩と十羅刹女とがひとつに結びついて、さらに守護する力をつよくしようという信仰がおこってきました。
 そこで世に行われていた荒神信仰と結びついて、普賢、十羅刹女が普賢三宝荒神という表現になったわけです。関西の一部では、荒神さまのことを「普賢さん」ともよんでいるところがあります。

『三宝荒神由来』より

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