木本神社
きのもと

鎮座地 三重県熊野市木本町本町95

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ご祭神 天照皇大神
(合祀) 天児屋根命
    天布刀玉命
    事代主命
    倉稻魂命┓
    大山祇命┃
    埴山姫命┛

ご神体は「青石」この三神は、明治四十一年神社合祀令のときに合祀された。
 現在の本町一丁目に所在し、若一王子権現(天照大神)を祭神として祀っている。
もと柿木新田に鎮座していたものを、現在地に移してきたという。
 また若宮二社、亀の宮一社、恵比須宮一社を末社として祀られている。新田の奥、評議峠の近くに木本神社の元宮があると口碑があって、現地の山裾に白石を敷きつめた祭祀後がある。
 明治四十一年神社合祀令のとき当社へ合祀された三神のうち、大山祇命と埴山姫命は、旧切立山王神社の祀神で、古城川の水源、水大師に近いあたりに元宮跡があり、もと同地に居住した山城氏が別当としてながく祭祀にかかわっていた。この神社は、古老の記憶によると「安産の神」信仰があって、近在の妊産婦がよく詣ったということから「産の神」がいつの頃からか「山王の神社」に変わってしまったのだという。

 祭礼は十月十日を大祭とし、神輿の渡御が行われる。古くは旧暦九月九日が祭日であったので、俗に「節句の祭り」と呼ばれていた。境内には吉田大明神を祀る石祠が建立されている。これは、安政二年(1855)当地に起った知行替、村替騒動に対して、当時の若山藩士吉田庄太夫が村民のため、生命をかけてその解決に尽力した徳にちなんで祀られたものである。

祭日は六月十日。

 拝殿右側にある吉田庄太夫の肖像額がかかっている祭壇と、ガラス戸の向こう側に見える吉田大明神石祠。


 吉田大明神石祠


 安政二年三月木本方面の二七ヶ村(紀州藩領)と有田方面の五ヶ村(新宮領)の知行替が発表されるや木本など二七ヶ村は二〇〇年来の紀州藩主から離れることを喜ばず、且重税に見舞われるであろうことなど予測して猛反対を展開一揆の様相をていしいわゆる安政の村替騒動となった。このとき江戸詰御勘定奉行の吉田庄太夫が命をうけて木本に来り、説得にあたったのですが民意の動かざるを察し、ついに独断で「村替御据置」との誓紙を手交江戸に帰って村替を中止せしめた。かくて三年起しの大騒動は民衆の勝利に帰したが、庄太夫は独断の責を負って自刃して果てたという。やがて熊野二七ヶ村の村々では吉田大明神祠を建てて村鎮めの神として崇めた。
 
  熊野市教育委員会
  熊野文化協会
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