三柱神社
みはしら
ご祭神 火産巣日之神 (火産霊神)
  奥津比古神 奥津比売神
鎮座地 奈良県橿原市
  膳夫<かしわて>町字古瀬田104
 旧村社。創建年代不明。当社に残っている金石文中最古のものとして、拝殿前石灯籠に「奉造立荒魂宝前 貞享三年(1684)八月二十八日」の刻銘があるので、創建はこの頃以前に遡る。参道の右側に膳夫寺跡の保寿院(真言宗豊山派)が建っている。

「膳夫寺跡」の保寿院
『大和誌』の膳夫村坐神祠には「称日荒神一 出合村共祭二一 城内有虚空菩薩寺ー名神宮寺」とある。虚空蔵寺は一名保寿院ともいい、古の膳夫寺の後身で、かつて神宮寺として当社の城内にあった寺院と伝える。『談山神社文書』の永正十八年(1521)の「護国院御神殿造営銭日記」に膳夫庄内に「宮田虚空蔵田」の御免地があったことがみえる。 膳夫寺跡からは、白鳳の古瓦や柱座のある礎石が出土、また、その後身と伝えられる虚空蔵寺には藤原期の孔雀文磬や室町時代の金剛盤が所蔵されている。当社は最初この寺の鎮守として創建されたものであろうと推察される。
 本居宣長の「菅笠日記」に「かしはで村の南のかたはらに。森のあるを問へば。荒神のやしろといふ。北にむかへり。むかしは南むきなりしを。いとうたてある神にて。御前を馬にのりてとほるものあれば。かならず おちなンどせしほどに。わずらはしくて。北むきにはなし奉りしとぞ。」とある。火産霊神はまたの名を火之迦具土神・奥津比古神・奥津比売神はかまどの神で三宝荒神ともいう。
 膳夫とは、飲食の饗膳のことを掌る人との意で、大和朝廷で天皇の食事を用意する職務を世襲した品部(しなべ)が、膳夫であるが、この地方が饗膳のことを掌る氏の住地とみる時、この寺の鎮守として三宝荒神や火の神を祭った所以が理解できる。

以前の拝殿

平成19年度 撮影

 数年前に撮った写真と比べると、最近になって拝殿の改築工事が行われたようである。
 本殿は昭和二十四年十月の屋根替、五十七年九月の本殿修復工事との棟札が残る。
朱塗りの春日造り、銅板葺きの一間社である。
本殿敷地内の両側に「
白山神社」(御祭神 菊理姫命)春日造り銅板葺き と、
「天照皇太神社」(御祭神 天照大神、豊受大神)同じく春日造り銅板葺きが鎮座する。


拝殿

本殿
 古老の話によると「ここの神さんは(女の神さん)で、桜井市西之宮字西垣内三輪神社の神さんと夫婦神であり、年に一回三輪神社の(男の神さん)が逢いに来る」という。

 9月15日  境内で子ども相撲が行われる。
 10月27日 秋季例祭(宵宮)
 10月28日 神送祭      
 
 10月1日の夜中に当屋の仮宮に神迎祭を行い、28日に神送りが行われる。
 当屋は神迎祭の前に吉野川(大名持神社の社前辺り)で水垢離を行い、帰途小石を拾って帰り、仮宮の傍に置く習わしで、昔はこの石を藁に包んで付近の川で禊をしたという。
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