輿喜天満神社
よきてんま

御祭神 菅原道真

鎮座地 奈良県桜井市初瀬字輿喜山


 与喜山の西南麓に初瀬川が90度に曲がって西流していく、内湾部の崖淵上に鎮座する旧郷社で、初瀬など十四大字が氏子である。

 初瀬天神祭といわれた例祭は10月20日で、かつては頭仲間という宮座組織があった。 社殿は西面し、参道は朱塗の橋から始まり、そこから85段を経て大鳥居、さらに190段の石階を経て手水舎の前に出る。

 社殿は文化十五年(1818)2月20日に上棟したもので、三十九世長谷寺能化の唯阿が再建した。玉垣内正面に本殿があり、その向かって左右に、神仏分離に当たり、長谷寺境内から遷座した瀧蔵三社権現や皇大神社・八王子神社。白太神社の六境内社が並んでいる。

  この社の縁起に当たるものは、『長谷寺霊験記』上巻第十一話に出ているのを初め、『諸寺縁起集』『菅原初瀬山影向記』などで、天慶九年(946)九月に道真(天満天神)が神殿太夫武麿を通じて長谷に現れ、ここで大聖に会いたいといって道明上人廟・観音堂・鎮守瀧蔵社に詣り、瀧蔵権現と語って、輿喜山の地を与えられ、雷神となって空を飛び、この山の松の下に鎮守したので、武麿は天暦二年(948)ここに宝殿を造ったという説話である。古く農業神の山口の神をまつり、瀧蔵の神があった初瀬の神地、しかも霹靂<かむとけ>(雷神が落ちること)と因縁深い長谷という信仰の聖地に、雷神の姿をもって菅原道真が出現したわけで、在来の天神信仰に菅原天神(天満天神)が重なり、さらに「天神は疑なき観音の化身」(『愚菅抄』)という思想の不朽から、菅原天神は十一面観音の化身と説かれ、観音が天神の本地仏となった。そして菅公筆の『長谷寺縁起』も著された。やがて長谷寺は輿喜社で天神講をさかんにし、造替などを盛大に行い、門前町初瀬郷の鎮守へと庶民の信仰を高めていった。

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