阿紀神社(神戸社)
あき

御祭神 天照皇大神・秋田比売神
    邇邇杵命・八意思兼神

合祀祭神 天水分神・菅原道真・不詳神
     金山彦神・金山姫神

鎮座地 奈良県宇陀市大宇陀区迫間252
    

 式内社。創祀詳らかではないが、『倭姫世記』に、「崇神天皇六十年癸未二月十五日。遷于大和国宇多秋志野宮、積四箇年之間奉斎、于時倭国造進采女刀比売。地口御田矣、於是倭姫乃御夢高天原坐而、吾見之国吾坐奉悟教給」とあり。『度会清在世記考』には、「秋宮。宇陀郡に在、今神戸大神宮という所なり。天武ノ紀に菟田吾城、神名帳に宇陀郡阿紀神社皆是也。云々」とみえている。
 社伝によれば、「人皇十代崇神天皇七庚寅年に諸国に神所定め、神戸の号を祀り、御勅に依って神戸大神宮と贈号を賜わる。和洲宇陀郡神楽岡と申すは、神代伊弉諾・伊弉冊尊より旧地の由にて、天照大神宮御鎮座有之、神戸大神宮と奉唱旧地にて候、依之文禄年中御検地の節、神戸大神宮御神領屋内膳正より神主・禰宜・社人・御子に黒印を下付す。また当時の領主、織田山城守長頼および織田伊豆守信武よりも同様寄付す。」とある。
 鎮座地は神楽岡とも称したようだが、現社地は、字テレスという山裾の水田に囲まれた樹叢で、西南から東北に宇田川の支流(旧称神達川、現:本郷川)が流れ、浄域をなしている。この川を隔て、流れに沿った数十mのところ、阿紀神社を俯瞰する場所を高天原と称している。天正年中に神楽岡の社を、ここに遷座した由が伝えられ、社地の形跡のみが残っている。
 境内は広く、本殿(神明造)神門、瑞籠、社務所のほかに、演能用舞台、鏡間などの施設があり、1,368坪。

境内社
一殿、
御祭神 日臣命・月夜見命・大国主命
   由緒不詳。
二殿、
御祭神 事代主命・品陀別命・和多津見命
   由緒不詳。
三殿、
御祭神 須勢理比売命
   由緒不詳。
阿紀神社
 神武天皇紀州熊野の難所を越し 大和国宇陀へ出て 当地阿騎野において御祖の神を敬祭り国中へ押出すとき朝日を後に戴きて 日神の御位勢をかり 賊軍を打ちはらい御運を開かせ給ふと当社古文書にあり 祭神は伊勢神宮と御同体の天照大神社殿は神明造り南向きと伊勢神宮と全く同じ建て方になっております。
 境内にある能舞台は 宇陀の地が元和以来織田藩の治所となり 三代長頼公時代に始められたものといわれている。
【案内板より】

縣社 阿紀神社縁起
社名 阿紀神社 元 阿貴宮又ハ神戸大神宮ト稱ス
祭神 天照坐皇大神 秋姫命
   八意思兼命 天之手力男命
由緒 延喜式内社 宇陀郡十七座ノ中 鍬靱 奉幣社也 大国主神ノ孫姫、秋毘賣神 宇陀ノ荒野ヲ柘植経営シ給ヒ 秋野ノ狭間ヲ万代ノ宮處ト擇ビ定メテ 鎮座シ給ヘルガ 此ノ神社ノ創祀ナリト云フ 神武天皇ト御東征ノ砌リニハ此宮處ニ※大纛(※【たいとう】軍中で用いる大きな旗。天子のいる陣営。大本営。)ヲ樹テ給ヒ 天神地祇ヲ祀ラレ崇神天皇六十年ニハ 皇女倭姫命天照大神ノ御杖代トナリ 四ヶ年間此宮ニ斎キ奉ル 今ヲ遡ル二千餘年前也

祭日 例祭 十月十七日 地方例祭旧八月十六日煙火祭ヲ行フ

社格 縣社 明治三十五年列格元郷社
   奈良縣宇陀郡神戸村迫間小字吾城野鎮座
              阿紀神社々務所
【境内の立て札より】

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