相鹿上神社
おおかがみ
 
鎮座地 三重県多気郡多気町相可464

御祭神 天児屋根命 熊野久須彦命 久那斗命 大彦命
  大鹿島命 火産霊命 伊邪那岐命 巨狭山命
  宇迦之御魂命 天忍穂耳命 天穂日命 菅原道真公
  天津彦根命 活津彦根命 八衢比古命 八衢比賣命
  両大神御魂 誉田別命 多紀理比賣命 多岐津比賣命
  市寸木島比賣命    
 当相鹿上神社の御鎮座の時期は不詳ですが、延長五年(西暦九二七年)に完成した『延喜式』の『神名帳』に記載されている所謂式内社であることから考えると、今から千百年以上前に創始されたものと考えられます。
 上代から平安時代にかけ、相可地区は大鹿首(おほかのおびと=相可の地名の由来)という氏族が支配していました。大鹿氏は、相可地区が伊勢の神宮や斎宮の神領地になっていたため、政所や検校などが置かれ、そこの役人としてこの地に住み着いたのではないかと思われます。
 大鹿氏は朝廷の祭祀を司る中臣氏(後の藤原氏)と同族で、自分の祖神である天児屋根命(あめのこやねのみこと)を祭神とする神社を建立したものが『相鹿上神社』と呼ばれ、付近一円の氏神様として崇拝信仰されるようになってきたものと思われます。
 鎌倉時代以降は、武士の台頭により相可地区の神領地はほとんどなくなりました。
 しかし、熊野参詣や那智山詣としての熊野街道と、郡(平安京)や上方(大坂)と伊勢の神宮とを結ぶ参宮街道が交差する交通の要所であった相可地区は、宿場町としての繁栄にあわせて、『相鹿上神社』も大きく発展してきました。

 明治時代になり、相可地区と荒蒔地区は相可村になりました。当時の政府の方針(一村に一神社)で、現在の相可一区、相可二区、荒蒔に祀られていた『伊蘇上神社』『八柱神社』などとその境内社を『相鹿上神社』に合祀し、『郷社相鹿上神社』となり、昭和二〇年代に現在の『相鹿上神社』になりました。
 〜参拝の栞より〜

 
合祀神社 所在地 境内社
相鹿上神社 相可字内畑一五三番地 多賀神社 若宮神社 地宮神社
伊蘇上神社 相可字磯部寺官第四六四番地 菅原神社 秋葉社 稲荷社
    若宮神社 相鹿木太御神社
相可牟山神社 相可字牟山官第九六三番地  
下殿神社 相可字東垣外官第二三九番地  
塞神社 相可字三反切官第一〇三〇番地  
塞神社 相可字出張官第四九番地  
氷室神社 相可字内畑官第五九二番地  
八柱神社 荒蒔字九十九戸官第二〇六番地 秋葉社 神明社

境内社 靖郷社
  山の神
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