落杣神社・御霊神社(黒駒)

鎮座地 奈良県五條市黒駒町 宮山376

ご祭神
     井上内親王
 黒駒集落のほぼ中央、吉野川の左岸に突出 した小丘陵上の、御霊神社相殿神として鎮座。
式内社落杣神社に比定されている。
 並河誠所の『大和志』は「在所未詳、或ハ黒駒村ニ在リト曰イ、今御霊ト称ス。坂合荘十三村共ニ祭祀ニ預ル」とあって祭神にはふれていない。
「式内調査報告」も『大和志』の記事を引き、「ただし、明治二十四年の『神社明細帳』はを祭神としているがこれは古老の所伝に依ったもので、確実な祭神は不詳とするほかはない」としながら、「所伝に依れば、当社は往古より坂合部村の氏神として大字黒駒字宮山に鎮座したが、坂合郡は太古より坂合部連が畿内と南海道の国境守備に任じ、その傍ら山林の経営をしたことから、山の神を氏神統一の中心として奉斎してきたという」と記している。
 『新姓氏録』には、坂合部首について「大彦命なり。允恭天皇の御世、国境の標を造立、因って
姓坂合部連を賜る」とある。ところが嘉禎年間(1235〜38)に霊安寺の御霊神社を当社境内に勧請、後には庇を貸して母屋をとられたのたとえ、当社は現在のように、御霊神社相殿にまつられることになったという。
今、当社境域の元の社地と伝える位置に
古墳の石室が露出したとみられる大岩を
磐坐とする小祠があるが、俗に磐境大明
神と称しを祀っている。

 大正十四年三月十六日奈良県史跡調査会嘱託上田三平氏の「調査による」として「奥行九尺横四尺ニシテ前方後円ノモノナリ、上石ヨリ推セバ奈良朝以前ノモノナリ。往古此ノ地ニ居住セル氏族ノ族長ノ墳墓ニシテ、年月ヲ経ルニ従ヒテ地下ニ埋没ノ結果、信仰ノ対象物ヲソノ付近ニアル怪岩ニ移シ、後世更ニ其処ニ祠ヲ建テタルナリ、コレニヨリテ考フレバコノ宮山ハ往古ヨリ霊物ノ俗念ノ有セシコトヲ知ルヲ得ルナリ。
士俗コノ小祠ヲ岩神様ト称ヒテ信仰ス」とある(当神社取調書)。 
例祭は十月二十三日。旧坂合部村全体の祭日として神幸祭がある。
境内社に天皇神社(祟道天皇)・他戸神社(他戸親王)の外、天照皇大神社・鍵取神社・
春日神社・住吉神社・竜田神社・若宮神社・琴平神社・八坂神社・八幡神社・日吉神社
・菅原神社・大性神社・大屋比古神社がある。
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